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Pick Up…ことばを拾う3。

十時になると老人がコーヒーをのせた盆を手に僕の部屋をノックし、ベッドにうつぶせに
なっている僕の姿を見て、冷やしたタオルで僕のまぶたをこすってくれた。耳のうしろがズキズキと痛んだが、それでも涙の量はいくぶん少なくなったようだった。

「いったいどうしたんだね?」

と老人は僕にたずねた。

「朝の光は君が考えているよりずっと強いんだ。とくに冬の雪の積った朝はね。<夢読み>の目が強い光に耐えられないことはわかっているはずなのに、どうして外なんかに出たりしたんだ?」

「獣たちを見に行ったんですよ」と僕は言った。

「ずいぶん死んでいました。八頭か九頭、いやもっとかな」

「これからもっと沢山死ぬことになるさ。雪が降るたびにね」

「なぜそんなに簡単に死んでしまうんですか?」

僕は仰向けになったままタオルを顔の上から外して老人にたずねてみた。

「弱いんだよ。寒さと飢えにね。昔からずっとそうだった」

「死に絶えはしないんですか?」

老人は首を振った。「奴らはこれまで何万年もここで生きのびてきたし、これから先もそうだろう。冬のあいだに沢山のものが死ぬが、春になれば子供が生まれてくる。新しい生命が古い生命を押し出していくというだけのことなのさ。この街に生えている木や草だけで養える獣の数は限られているからね」

「彼らはどうして別の場所に移らないんですか?森に入れば木はいくらでも生えているし、南に行けばそんなに雪も降らない。ここに執着する必要はないと思うんだけれど」

「それは私にもわからん」と老人は言った。

「しかし獣たちはこの街を離れることはできないんだ。彼らはこの街に付属し、捕われているんだ。ちょうど私や君のようにな。彼らはみんな彼らなりの本能によって、この街から抜け出すことができないということをちゃんと知っているんだ。あるいは彼らはこの街に生えている木や草しか食べられんのかもしれん。あるいは南に向かう途中に広がっている石灰岩の荒野を超えることができないのかもしれん。しかし、いずれにせよ、獣達はここを離れることはできないんだ」


       「世界の終わりとハードボイル             
       ド・ワンダーランド」
       村上春樹著より。

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