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肝試しの価値

夏といえば肝試しの季節であると思っている。だからなのかよく分からないが、僕は夏になると電信柱や電灯があまり設置されていない畦道や廃墟を歩き回ってみたくなる。実際僕は小学生の夏休みの頃には電信柱や電灯があまり設置されていない多摩湖の遊歩道を肝試しと称して一人歩いていた記憶がある。そこで何となく幽霊の気配を感じ取って僕は一人悦に入っていた気がする。

どうやら僕はオカルトや心霊体験等のいかがわしい雰囲気が好きなようだ。しかし昨今のTV業界はコンプラ厳守の風潮からかオカルト番組・心霊番組を放送しなくなって久しいという。やはりというか、SNSの発達とスマホの普及がそうしたオカルト番組・心霊番組のいかがわしさ、いい加減さを許さなくなってきているのだとか。

何せ心霊写真等はスマホの画像修正アプリでいくらでも加工出来てしまうし、実際にゼロから作る事が出来るというから問題外なのだろう。そう考えるとオカルト番組・心霊番組を殺したのはSNSであり、スマホであるに違いないが、肝試しの価値を不当に下げたのもSNSであり、スマホであると僕は思っている。

何せ肝試しをしようとして心霊トンネルや廃墟に足を踏み入れたとしても、余程な事がない限り、インターネットに繋がらない環境には身を置けないだろうから、その心霊トンネルや廃墟の噂や評判等を事前にスマホで検索する事が出来るのだ。そうなると本来知らない事で感じ取れる心霊トンネルや廃墟の怖さが半減してしまうに違いないだろう。

1992年生まれの僕が小学生だった2000年代前半まではスマホが世に出ていなかっただけに、安易に情報を摂取する事が出来ない為に怪しい場所や怖い場所にはそれなりに不可思議なベールが包まれていて、こちらが期待する恐怖の幻想は容易に崩れなかったのだった。そういえば妖怪漫画家の水木しげる氏は戦後昭和四十年代頃から電信柱や電灯が道路に整備された事で、光に弱い妖怪はそれらがない山奥等に逃げてしまった等と主張していた。

僕も怪しいもの好きとしてその水木しげる氏の意見には賛同するが、この現代人が最早手放せなくなっているスマホの出現とやらで肝試しの面白味というか、価値が低減したのも、それと似たようなものかもしれないと思った。そう思うと年々肝試し等の不可思議な体験をしにくくなっている世の中に生まれた今の子供達が気の毒に感じるし、ぎりぎりスマホが普及する前に肝試しを体験出来た自分の世代がこの上もなく幸運な存在にも思えてくるのだ。



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