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1.半吉になった日

2024年5月、僕は34歳で脳出血を発症して片麻痺になった。あれからの出来事と時々の思いをここに綴っておく。いつか同じ病気に罹った後輩の皆様のために。

5月4日
19時頃、2週間前に引き渡しを受けた新居で、ぼんやりと結婚して子供授かって家買って、男としての仕事は半分終わったなぁと考えていた。

僕の家は、1Fに洗面、風呂と洋室が1部屋、2FにLDK、3Fに洋室3部屋といった間取りだ。仕事ので朝早く夜遅く、飲み会も多いため1Fの洋室が僕の部屋だ。

しばらくして近くに住む友人から飲みの誘いがあった。普段から毎日ウイスキーを家で飲んでいた僕はこの日、軽い頭痛で珍しく素面だった。
なんだか眠れなかったので、近くの飲み屋で集合した。キープのバーボンでハイボールを作ってもらい、乾杯した直後だった。

悪寒がする。嫌な予感がする。振り向いたらなんかヤバいものが居る気がする。

この時僕は本気で幽霊がいる。と思った。店内を見回した。気のせいかな。じとっと汗を感じた。
友人から心配されて、「なんか体調おかしいなー。でもとりあえず大丈夫。」そんな感じで軽く話してた。

それから10分くらいしたとき、呂律が回らなくなってきた。僕は以前、熱中症とコロナに同時に罹ったことがあり、その時に呂律が回らず死にかけたことがあった。友人は、その時に呂律が回らなくて脳卒中だと思った、という話しと、僕の高血圧症を知っていたため、僕に何が起きたかは何となく気づいていたみたいだった。

そして間も無く僕は、なぜか椅子から転げ落ち床で這いつくばっていた。意識ははっきりある。先程の悪寒が強くなる。頭の中で警戒音が鳴っている。

友人と店員さんを除いて、顔見知りのお客さん達は僕が飲み過ぎて倒れた。と笑っている。なんとか緊急事態を伝えたいが、言葉がうまく出てこない。

友人が、今日はこれが1杯目で普通じゃない旨伝えてくれ、店の人もすぐ救急車を呼んでくれた。

床に這いつくばって起き上がれず、片手片足をバタバタさせながら、恐怖で泣きそうだった。友人や店の人が声をかけてくれるが、段々とまともに話せなくなっていった。意識が鮮明にあるからこそ、意味不明な感覚で怖かった。

その後すぐ救急車が到着し、僕はタンカで運ばれた。同乗した友人が妻と母に電話を掛けてくれた。妻は小さい子供を寝かしつけてそのまま寝ており電話に出られず、母が病院に駆けつける事になった。

病院に着いて色々と検査をして、僕自身はそのまま眠ってしまった。その間に妻や友人、母が説明や手続きをしてくれて、この時に僕が脳出血、左被殻出血に罹っていることが時伝えられた。その時のことは詳しく聞いてないが、血が止まらず最悪のケースも覚悟するよう言われていたようだった。

これが5月4日発症日のあらましである。もしあの日1Fで夜中一人過ごしていたら、友人がいち早く異変に気付いてくれなかったら、救急車がすぐに来なかったら今は無かったかも知れない。

この後の日記は、自分の備忘録としての意味もあるが何より、この後同じような病気になる誰かに向けて綴っていこうと思う。

この日以降、気持ちの整理がつかず黒い感情ばかりだった僕を、助けてくれて楽にしてくれたのは間違いなく家族と友人だった。本当に感謝してもし尽くせない。

ただ、障害を抱える当事者としての不安や、これからどう生きるかについては家族も友人もわからない。そしてこの煩わしさを、苦痛まで共感してもらいたいとは思っていない。みんな優しいからわかろうとするけど、片麻痺や失語症といった後遺症を、体験せずにわかってもらうのは酷な話だ。

運び込まれた病院(急性期病院)で医師や看護師の方、リハビリのセラピストの方に病気の事や、これからどうなるか、どこまで治るか、など質問攻めにしていた。しかしこの人達も、恩人であり関係者ではあるが当事者ではない。

ふと「脳卒中 なった人」と検索してみる。脳卒中にならない為の対策などが表示される。そんな中に、過去に脳卒中に罹った人のYouTubeを見つけた。退院後の困ったことや、生活の知恵などを紹介していた。その後YouTubeやXなどで探していくと、意外にたくさんの"先輩"がいることがわかった。

それから僕は、病気や障害に関する悩みは全国の先輩方に聞くようにした。この先輩方の動画やポスト、ブログが僕の情報源であり、病気や障害に関して真の理解者であった。これにより家族や友人には、病気や障害の悩みをそこまで相談しないで済んだと思う。

彼らとの出会いが無ければ、この文を書いているたった今(2024年7月29日)、こんな前向きな気持ちでリハビリをしてないだろう。

この日記は、
家族、友人、医療関係者の皆様への感謝を言葉にする為、
救ってもらった先輩方への感謝を伝える為、
僕の人生の一大事を記録する為、
そして僕自身が当事者として先輩となり、まだ見ぬ"後輩"を救えるように、書き記すものです。

関わってもらった皆様、本当にありがとうございました。このご恩は来世になっても忘れません。


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