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君の名はアーセナル -第3章「トランスファー・ウィンドウ」-

フィクション作品において、最初から主人公が完璧な存在であることは少ない(最近はそういう作品も見かけるが)。魅力的な主人公は優れた才能や能力と同時に大きな問題点を抱えており、物語の中で課題解決に取り組むことで、次第に完璧な存在へと近づいていく。

 2022-23シーズンのアーセナルに関して言えば、一番の問題点は昨シーズンに引き続き「層の薄さ」にあった。2022年夏の移籍市場におけるフロントの働きは素晴らしく、シティから獲得したジェズスとジンチェンコ、マルセイユへのローンから復帰したサリバは即座にチームにフィットし、昨シーズンに存在したチームの課題を少なからず解決した。しかし、それはあくまでもスターティングメンバーに限った話であり、バックアッパーの不足は未だに大きな問題点としてあった。

 シーズンを通して好調を維持する上で、選手層の厚さは絶対に欠かせないポイントだ。特にビッグクラブと呼ばれるチームは、カップ戦やヨーロッパのコンペティションでも優勝することを目標にしており、毎年のように過密日程を戦うことになる。シティやレアル・マドリードなどは強力な2チームを作れるほどの戦力を有しており、怪我やコンディション、チーム状況や相手の実力に応じて相応しい選手を起用することができる。そういった意味で、シーズン前半のアーセナルの選手層はお世辞にも豊富だとは言えなかった。

 今シーズンのアーセナルにおいて、バックアッパーとしてコンスタントに出場していた選手は冨安、ティアニー、ホールディング、ファビオ・ビエイラ、エンケティアの5人だ。この選手たちの中で、スタメンと変わっても劣らないプレーを披露できるのは冨安だけだろう。冨安は最終ラインであれば全てのポジションでプレーできる点が特徴的で、今シーズンはクローザーとして終盤の守備固めで出場する機会が多かった。アーセナルでは基本的に右サイドバックの扱いだが、両足を高いレベルで使うことが可能で、左にも問題なく配置できる(むしろ、左の方がやりやすそうに見える試合もあった)。スタメンとしての出場は少ないが、シティやリバプールなど実力のある相手とのゲームでラインナップに名を連ね、ジャック・グリーリッシュやモハメド・サラーといったエース格の選手とマッチアップしており、アルテタから絶大な信頼を受けていることは間違いないだろう。対人の守備能力に関してはホワイトを上回っており、貴重な戦力として重宝されていた。

 ティアニーに関しては、実力云々というよりは戦術的な嚙合わせの問題だと言える。彼はクラシックなタイプのサイドバックであり、左足のキック精度や縦への推進力に特徴がある。しかし、今季のアーセナルは左サイドバックが中盤化する偽サイドバック的な配置を主に採用しており、ティアニーはそこでジンチェンコの代わりになれる程、器用な選手ではない。攻撃の組み立てに参加する能力は冨安の方が優れており、ティアニーをベンチに置きながら冨安が左サイドバックに選ばれることもあった。3バックの左も出来るティアニーは守備固めの5バックにおいて役割を果たせるが、ジンチェンコと特徴が異なり過ぎるが為に、出場機会が限られていた。

 ホールディングは、マガリャンイスとサリバに比べ、足元の技術に大きな不安がある。ホールディングをセンターバックに採用すると最終ラインからの組み立てが安定せず、結果的にトーマスが降りてきて全体の立ち位置が下がるという現象が起きる。高さや強さの面では優れており、守備固めの際に投入するDFとしては相応しいが、健康的なローテーションの一角とみなすことは難しい。

 ビエイラに関しては、チームとリーグにフィットするのにもう少し時間がかかるだろう。左足のクオリティに疑いの余地は無いが、現在の彼は線が細く、プレミアのインテンシティに対応できているようには見えない。いずれはウーデゴールの代役となれるかもしれないが、今季のビエイラにそれを求めるのは少々酷だと思う。

 エンケティアはW杯期間中にジェズスが怪我をしたことで、スタメンとして試合に出る機会も多かった。一定の活躍を見せてグーナーからも評価されていたが、ジェズスと比べれば殆どの面で劣っていることは否めない。左ウィングにも配置できることからサブのFWとしては計算できるが、ジェズスの立場を脅かす存在ではないと言える。

 全体的にバックアッパーの量と質が不足していたアーセナルだが、特に層が薄いのはウィングとボランチだった。サカとマルティネッリがフル稼働できていることで目立たなかったが、「ガラスの天才」スミス・ロウの度重なる怪我もあって、前線でゲームチェンジャーとなり得る存在がベンチにはいなかった。また、サブのボランチであるサンビ・ロコンガは少ない出場機会でも不安定さを見せており、トーマスの代わりとしては余りにも心もとない。トーマスはフィールドに立てばワールドクラスだが怪我やコンディション不良が多く、今シーズンは継続的に出場していたとはいえ、一度いなくなればチームが下降線を辿ることは目に見えていた。

 アーセナルは多少の不安を抱えながらも首位を走り続け、これ以上ない形で2022年を終えた。そして迎えた冬の移籍市場において、彼らはブライトンからレアンドロ・トロサールを獲得し、チェルシーからジョルジーニョを獲得した。この2人は疑いのない実力者であり、ガナーズに不足していたポジションを担える選手たちだ。2022年夏と同様に、アーセナルのフロント陣は素晴らしい動きを見せたと言えるだろう。

 トロサールはポッター・ブライトンの中心選手であり、シーズン前半のプレミアにおいて強い輝きを放った選手の一人だった。個人での打開に優れており、ドリブルでの推進力や突破力、キープ力と優れたパスセンスやシュートテクニックなど、攻撃に関する高さ以外の要素を全て兼ね添えている点が魅力だ。ポッターの指揮下では主に左のウィングバックに配置されていたが、シャドーの位置でもプレーできるスキルを持ち、サイドと中央の両方で遜色ない活躍を出来る選手である。

 こういった彼の特徴は、アーセナルが求めるFW像と合致していたと思う。ウィングとセンターフォワードに配置できることでマルティネッリ・ジェズスの代わりとなれるし、単なる代役ではなく「ゲームチェンジャー」として固有のスキルを持っている。センターフォワードの位置ではジェズスよりも明確にサイドに流れて起点を作り、中盤のパスワークにも積極的に関与する。ラストパスや共有力にも優れた所謂「偽9番」として、アルテタ・アーセナルのオプションの一つとなった。ウィングとしてはマルティネッリよりも器用な選手であり、個人の打開と流動的な崩しの両面において違いを作り出すことができる。現在のアーセナルにおいてはバックアッパー的な立ち位置だが、今後の活躍やマルティネッリ・ジェズスのコンディション次第では、スターティングメンバーの立場を確保する可能性もあるだろう。

 ジョルジーニョの実力については、もはやここで言うまでも無いかもしれない。エラス・ヴェローナのユースから2011ー12シーズンにトップチームデビューを飾り、翌シーズンはセリアBで41試合に出場して、昇格したチームにおいて必要不可欠な働きをした。2013ー14シーズン冬にナポリへと移籍すると、1年目からチームにフィットしてコッパ・イタリアの優勝などに大きく貢献。2018ー19シーズンからはプレミアリーグに活躍の場を移し、チェルシーのレジスタとして揺らがない地位を築き、2018ー19のELで優勝、2020ー21のCLで優勝、2021ー22のクラブワールドカップでも優勝し、紛れもない世界最高レベルのボランチとなった。代表では2021年のEUROで優勝を果たしてイタリアに53年ぶりのヨーロッパタイトルをもたらし、同年にはUEFA欧州最優秀選手賞を受賞した。

 彼は典型的な司令塔タイプの選手であり、中盤の底からパスを散らしてリズムを作り出すことを何よりも得意としている。戦術理解度やポジショニングの能力が高く、いつでも正しい位置でボールを引き出し、正しい場所に正しいパスを送る。当然、それを裏付ける足元の技術を持っており、グラウンダーとロビングのボールを的確に使い分け、縦パス・サイドチェンジ・ライン裏へのパスなど、全てにおいてパスミスが非常に少ない。DF能力にも優れており、素早い切り替えからの寄せや鋭い読みからのインターセプトによって、中盤の底でフィルターの役割を果たすこともできる。

 彼はトーマス・パーティーの代役として、補って余りある人材だと言える。ゴールへの関与や空中戦、ドリブルでの打開力はトーマスの方が優れているが、単純なパス精度や組み立ての力ではジョルジーニョが上手だろう。足の遅さと空中戦の弱さは否めず、カウンターやロングボールのケアはトーマスに比べるとかなり劣るし、だからこそアルテタはトーマスを起用し続けるのだろうが、今後の活躍や少々ムラのあるトーマスのコンディション次第ではスタメンの座を奪取する可能性もあるだろう。

 彼らの獲得が素晴らしいものであったことはシーズン後半を見ても明確であり、アーセナルのフロントは冬の移籍市場においても重要な働きをしたと言えるが、2人を獲れたことは「運が良かった」ことも事実である。それは本来、彼らの実力と評価を考えれば、トロサールとジョルジーニョは冬の移籍市場で放出されるような選手ではないからだ。

 冬の移籍市場はシーズン中に行われるという性質上、夏に比べてビッグディールが頻繁に起こるということは無い。殆どのチームは中心選手は動かさずに出番の少ない選手を放出して、チームの足りない部分を高額でないロールプレイヤーの獲得などで補うことに終始し、ビッグネームが動いてもローンでの「お試し」移籍になることが多い(勿論、例外もあるが)。そういった中で、アーセナルはトロサールとジョルジーニョという2人の実力者を完全移籍で獲得している。これは、2人が前に所属していたチームで置かれた立場と、そのチーム状況に由来している。

 先述したが、シーズン前半のトロサールはポッター・ブライトンの主役として輝きを放っていた。27歳という若くない年齢もあり、来夏にはビッグクラブへと移籍するのではないかと噂され、本人もそれを希望している様だった。ただ、それはあくまでも来夏の話であり、トロサールが2023年夏でフリーになるとはいえ、ヨーロッパの舞台へと突き進むブライトンが冬で彼を手放す可能性はそれほど高くなかった筈だ。

 しかし、ポッターがチェルシーに引き抜かれデ・ゼルビが監督に就任して以降、チームでのトロサールの立場は大きく変わった。当初は三苫薫との共存が模索され、センターフォワードの位置などで活躍を見せていたものの、W杯後にパフォーマンスが低下してベンチスタートの試合も生じるようになった。更には、ロッカールームでチームメイトと口論になったことや、練習を無断で切り上げ1月のリバプール戦でメンバー外になったことなど、ネガティブな報道が目立つようになり、トロサール本人も代理人を通して移籍を要求するなど、ブライトンとの関係は悪化していった。結果的に、ムドリクをチェルシーに搔っ攫われたアーセナルがトロサールに照準を絞ると、話はとんとん拍子で進み、僅か1日でトロサールの「ステップアップ」が決まった。

 ジョルジーニョに関しては、トッド・ベーリー就任以降のチェルシーが為している無謀な改革の煽りを食ったと言える。31歳となったジョルジーニョのパフォーマンスは下降線を辿っており、全盛期に比べれば支配的なレジスタではなくなっている。ただそれでも、トゥヘルの元では替えの利かない存在として重宝されていた。しかし、ポッター招聘によって若手中心のチームを作り上げようと模索するチェルシーにおいて、ベテランの域に達したジョルジーニョは新加入のエンソ・フェルナンデスにポジションを譲ることとなり、出番を大幅に減らしていた。そして、ブライトンの徹底抗戦によってカイセドの獲得に失敗したアーセナルが、移籍市場最終日に彼の獲得にこぎつけた。

 ジョルジーニョはあの様な形でチェルシーを去るべき選手ではないし、チームとしても確実に保持すべき選手だったと思う。実際、2月以降のチェルシーのゲームを見ていると、「ジョルジーニョが居れば違ったのに」と考えることも少なくない(というか、殆どそんな試合だ)。ジョルジーニョのキャリアと実力を考えれば、サッカーを知らないオーナーの方針によって冷遇されたことは残念だが、アーセナル側から見れば運が良かったと言える。

 これはトロサールに関しても同じことで、移籍に行きつく迄の流れに関しては是非が問われるところだろう。ムドリク獲得の失敗で代役を求めるアーセナルと不満分子を高額で売れるブライトンの利害が一致していたとはいえ、「中堅チームの不満分子が首位を走るビッグクラブに放出される」という構図はいささか不健康にも思えるし、「駄々をこねれば移籍できる」と捉えることもできる。ただ、アーセナルにとってトロサールを今冬に獲得できたことは幸運であり、チーム状況に追われたジョルジーニョも含めて、グーナーはブライトンとチェルシーに感謝すべきだろう。

 トロサールとジョルジーニョは加入後から即戦力となり、アルテタ・アーセナルに欠かせない重要なパーツとなっている。28歳と31歳という彼らの年齢も、若手中心のチームであるアーセナルにとっては「経験値」という意味でポジティブな要素になり得るだろう。特に、様々なコンペティションで優勝した経験を持つジョルジーニョは、試合に出場せずともロッカールームや練習で重要な役割を担うことができる筈だ。

 勿論、2人がアーセナルに移籍してきたことは、現在のガナーズが魅力的なチームを築いていることにも起因するだろうが、棚から牡丹餅が落ちてきた様に彼らを獲得したことも事実だ。そういった意味では運が良かったと言えるが、現在のアーセナルがプレミアを制覇する為には多少の運も絶対的に必要であり、彼らは見事にそれを引き寄せたのだ。

 アーセナルは冬の移籍市場を上手に使い、弱点となり得たポジションに的確な補強を当てた。未だに層の薄さは否めないとはいえ、これは主人公が「完璧な存在」へと近づくための一歩であり、プレミア優勝という最大の目標に向けて大きな前進であったと言える。

第3章「トランスファー・ウィンドゥ」 
村井 悠

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