君の名はアーセナル -第2章「ケミストリー」-

「主人公(チーム、組織なども含む)が様々な要因から、想定された以上の結果を残す」という様なストーリーのフィクション作品は、数多く存在している。それでは、その物語において主人公が残した結果・成果の根拠・理由となっているものは何だろうか。それは一つではないが、恐らく最も重要なのは「ケミストリー」の存在だと思う。

 「ケミストリー」という単語は様々な場面で用いられるが、もとは「化学反応・化学現象」という意味だ。フットボールを語る為に訳すなら、「相乗効果」ということになるだろうか。それは単純に戦術的な意味での嚙合いや、チームワークのことを指している訳ではない。個々人のパーソナリティーや長所と短所、そして利き足やアイディアも含めて、「この選手たちにしか作り出せない」と思わせる様なスペクタクルが存在するのだ。エンリケ・バルセロナの「MSN」、2016-17シーズンの「ミラクル」レスター、2019-20シーズンにプレミアとCLの2冠を達成したリバプールなど、記憶に残るようなチーム・選手たちには必ずケミストリーがあった。

  強いチームを作る上で、「ケミストリー」の有無は重要だ。単純に能力的に優れた選手たちを集めても、必ずしも見た目通りの強さになる訳ではない。選手の能力だけで勝敗が決まるならPSGはビッグイヤーを獲得しているだろうし、今季のチェルシーがこんなにも低迷することは無かっただろう。悩ましいのは、意図的にケミストリーを生み出すのは困難だということだ。勿論、各チームのフロントやスカウトは、既存の選手との相性を見ながら獲得・放出を行っているし、監督も選手同士の嚙合わせを考えながら戦術とラインナップを打ち出している筈だ。それでもチームが良い方向に向かうとは限らないし、その先にケミストリーが構築されるかどうかは、もはや運であるとさえ思う。ただその分だけ、それが生まれたチームの強さは素晴らしいものになるのだ。

 2022-23シーズンのアーセナルには、間違いなく「ケミストリー」がある。今季が始まった時、シーズン終盤でもガナーズが首位を保持し続けていることを、確信をもって予想したプレミアサポーターはどのくらいいただろうか。少なくとも私は、どこかで調子を落としてシティに首位の座を明け渡すと思っていた。それは決してアーセナルを甘く見積もっていた訳ではなく、スターティングメンバーのラインナップやバックアッパーの量と質に関して、プレミアのビッグクラブと比べた時に、アーセナルが特別に優れている訳では無かったからだ。

 偉大な歴史と潤沢な資金を基にトップレベルの指揮官と選手が集まるプレミアにおいて、アーセナルの選手層は「劣らずとも勝る訳では無い」と評価できるだろう。アーリン・ハーランドという世界最高の得点力を持つストライカーを手にしたシティ、トッド・ベーリーが就任してから無作為とも言える様な大型移籍を繰り返すチェルシー、幼少期のアイドルとして選手からの人気が高く、テンハグ就任も相まって豊かな才能が集まるマンチェスター・ユナイテッドなど、所属する選手のリストを見比べた時に、ガナーズよりも優れているように「見える」チームはいくつか存在している。

 それでもアーセナルは2022-23シーズンにおいて一度も首位の座を譲ることなく、現在を迎えている。それは選手同士や指揮官も含めて、ポジティブな相互作用が生み出されていることの証拠に他ならない。細かく見ていけばキリが無いが、今季のアーセナルが生み出す「ケミストリー」として重要なものは、主に3つあると思う。

 一つはここまででも度々挙げているように、全ての選手と指揮官のパーソナリティーがこれ以上なくフィットしているということだ。アルテタは決して経験が豊富な指揮官ではない。彼はシティで2016年から2019年までコーチを経験し、2019-20シーズンの途中からアーセナルの監督に就任した。ペップの元で修業を積んだ新進気鋭の指揮官として注目されてはいたが、この時の年齢は37歳、年齢的にも極めて若く、経験不足であることも否めなかった。ウナイ・エメリの後任として初めての監督経験をすることになった2019-20シーズン、FAカップで優勝し初タイトルを手にしたものの、ELは準決勝で前任者のエメリ率いるビジャレアルに敗北、プレミアは8位でシーズンを終え(一時は15位まで低迷した)、アーセナルは26年ぶりにヨーロッパのコンペティションを逃すこととなった。

 これは決してアルテタだけの責任ではなく、様々な意味でアーセナルは過渡期にあったのだが、グーナーからの評価は厳しかった。特に疑問視されたのは戦術的な面ではなく、プライベートも含めた選手たちのモチベーションだ。これはエメリ時代から引き継がれた問題だったが、オーバメヤンやぺぺといったチームの中核をなす選手たちをコントロール出来ず、アルテタにはスター選手を扱えないと揶揄された。ビッグクラブを率いる上で重要な要素の一つに、高額な報酬と市場価値を持つ選手たちを如何に上手く扱うかということがある。当時のアーセナルのロッカールームで何が起こっていたのかは分からないが、チームと選手の不調をアルテタの年齢と経験不足に結び付けることは、当時のグーナーにとって難しいことではなかった。

 結局、フロントはアルテタの理想にそぐわない選手たちを軒並み放出し、若く才能に溢れた選手たちをフィールドとロッカールームの中心に据えた。結果的に、これはアーセナルにとって最大限にポジティブな影響をもたらしたと言える。彼らはプレイヤーとしての経験が長くなく、その分だけ素直で野心に満ちた選手たちだった。若き指揮官の方法に反発することも無く、ピッチに立てばアルテタが求めるフットボールを実現する為に努力する。接触プレーなどで試合が止まった際に、多くの選手たちがテクニカルエリアに集まりアルテタと話す光景は見慣れたものになった。これはアルテタが信頼を得ている何よりの証拠だろう。新加入のジェズスやジンチェンコも含めて、若き指揮官と選手の才能と情熱が同じ方角に向いていることは決して当然ではなく、フロントの決断とスカウトの眼力、そしてアルテタの能力と選手のパーソナリティーが噛み合った結果だと言える。

 二つ目は、両サイドの縦関係が極めて優れていることだ。サカとホワイト、マルティネッリとジンチェンコの関係性が素晴らしいことは、アーセナルがリーグ2位となる72得点(30節時点)を記録できている大きな要因だろう。現代サッカーにおいて、サイドの攻略は非常に重要な要素の一つだ。戦術が進むごとに中央のスペースは消えていき、ビルドアップにおいてもファイナルサードにおいてもハーフスペースやタッチライン際の攻防が勝敗を決定づける差異となる。

 右サイドに位置するブカヨ・サカは、キープ力に優れたウィングだ。勿論、一対一の突破にも非常に優れているが、何よりも彼はボールを失わない。相手を背負っても引っ繰り返すフィジカルと技術を持ち、ボールを持てば必ず前を向く。そして、ウィングがサイドで時間を作れるということは、サイドバックのオーバーラップが可能になるということだ。ホワイトが明確に高い位置を取る機会は殆ど無いが、サカが溜めを作ることで攻撃参加の機会が生まれる。ホワイトはクレバーなDFであり、無闇に上がったりはしない。基本的にはサカの斜め後ろに立ってフォローとカウンターのケアに専念し、ポイントを見つけてサイドを上がる。

 サカはそれの使い方が非常に上手く、ホワイトを囮にカットインシュートを打ったかと思えば、DFを引っ張って裏に抜けたホワイトにスルーパスを出す。オフザボールでも基本的にはサイドに張りながら、タイミングを見てハーフスペースを取りホワイトを上がらせる(これはアルテタの指導もあるだろう)。攻撃能力が特別に高い訳では無いホワイトがゴールに絡めているのはサカの存在が大きく、ホワイトがクレバーに振舞うことでサカの器用さが発揮される。アーセナルの右サイドでは、このような相互作用が生まれているのだ。

 逆に、左サイドに位置するガブリエウ・マルティネッリはサカほど器用な選手ではない。彼の特徴はドリブルでの推進力と突破力、そしてダイアゴナルに抜ける動きにある。マルティネッリは今シーズンで14得点(30節時点)を記録しているが、際立つのはその多くがボックス内での2タッチ以下のゴールであることだ。シュートの技術も高いが、それ以上にストライカー的な嗅覚と決定力が優れている。更に、彼は多少難しい状況でボールを受けても前に進むことができる。テクニックとスピード、時に強引さでDFを引き剝がし、一気に相手にとって危険な位置へとボールを運ぶのだ。

 これらのマルティネッリの特徴は、偽サイドバック的に中盤化するジンチェンコと非常に相性が良い。ジンチェンコが中に入ることでウィングとの距離が離れるが、マルティネッリは2人くらいなら容易に剝がせるだけの推進力がある。むしろ、ジンチェンコが近寄り過ぎないことで狭い局面にならず、マルティネッリの能力が活かされるのだ。そして、マルティネッリのスプリントを見逃さない視野の広さと、スルーパスを裏へ通せる技術をジンチェンコは持っている。彼がゴールに直接的に関わる機会は少ないが、その2歩手前で的確なパスを供給することで、マルティネッリは有利な形でDFと対面することができる(勿論、オーバーラップの少ないジンチェンコの代わりに中を上がるジャカの存在も大きい)。そして、マルティネッリは上下の運動量に優れており、素早いプレスバックによってジンチェンコの守備を手助けすることもできる。右サイドと同様に、両者の特徴を活かしあう関係が、左サイドでも無理なく成立しているのだ。

 2022-23シーズンにおけるアーセナルのスタッツで特徴的なのは、ゴールが特定の選手に依存していないことだ。特にサイドの攻撃がバランス良く行われており、ゴールとアシストに関してサカとホワイトの合計は14G13A(30節時点)、マルティネッリとジンチェンコの合計は15G6A(30節時点)で、数字から見ても両サイド共に効果的な攻撃が為されていることが分かる。サイドの縦関係は今季のアーセナルを象徴する要素の一つで、そこで生み出される相互作用は、アーセナルの攻撃で最も重要なポイントとなっている。

 3つ目は、若い選手の多いチームをまとめ上げるリーダーが存在していることだ。今季からガナーズでキャプテンマークを巻くこととなったマルティン・ウーデゴールは、ピッチの内外を問わず確かなリーダーシップを発揮し続けている。

 ここ数年のアーセナルは、チームキャプテンの選択に苦労してきた。2019-20シーズンからキャプテンに指名されたグラニト・ジャカは、チームの不調に伴ってグーナーから批判の対象となった。ブンデスリーガ時代にはボルシアMGでキャプテンを務めた経験を持ち、リーダーシップ自体には問題の無いジャカだが、攻撃的な性格が取り上げられることも多い(今季もトッテナム戦後に熱くなったジャカをアルテタが追いかけるという場面が話題になったが)。結局、2019年10月に行われたクリスタルパレス戦において、交代の際にブーイングを浴びせたサポーターを挑発したことで、ジャカはキャプテンマークを剝奪されることになった。そして、エメリが後任としてキャプテンに指名したのは、当時のアーセナルで絶対的なエースとして輝きを放っていたピエール・エメリク・オーバメヤンだった。低迷するチームで気を吐いていたことを鑑みれば妥当な選択だと言えるが、オーバメヤンはボルシア・ドルトムント時代に無断でミーティングを欠席して処分を受けるなど、ピッチ外で模範となるタイプではない。キャプテン就任後も選手個人としての成績は申し分なかったが、2021年3月のトッテナム戦前の集合に遅刻してメンバー外となり、同年12月のサウサンプトン戦では母親の見舞い後にクラブへの合流が遅れ、同月に2度の規律違反を理由にキャプテンの座を失った。

 フットボールにおいて、リーダーという存在は非常に重要だ。今季のユナイテッドにおけるリサンドロ・マルティネスの様に、キャプテンマークの有無に関わらず一人のリーダーシップがチームを変えることもあるし、その逆もまた然りだろう。

 ウーデゴールがリーダーとして優れているのは、プレイヤー・モチベーターの両面でチームを引っ張れる点だ。プレイヤーとしてのウーデゴールはインテリジェンスに溢れた「チームの頭脳」であると言える。攻撃面において、ビルドアップの際は的確なポジショニングと正確なパスでチームの潤滑油となり、ファイナルサードでは決定的な仕事を成し遂げることができる(今季は30節時点で11G8Aを記録)。そして、守備面ではプレスの先導役となっている。今季のアーセナルが強い理由の一つとしてハイプレスの精度が向上したことが挙げられるが、それはウーデゴールがポイントを間違えずにプレッシャーをかけられるからだろう。彼は運動量や献身性でも際立っており、優れたインテリジェンスとテクニックがありながら、誰よりもハードワークを行うという、理想的なピッチ上のリーダーだ。当然アルテタからの信頼も厚く、キャプテンに指名される以前から、アルテタが戦術的な指示を行う際、それをピッチ上に伝える役割をウーデゴールが担っていた。

 そして、今季のウーデゴールはモチベーターとしてもチームの中心になっている。良いプレーをした選手には真っ先に飛びつき、チームが不甲斐ない時には檄を飛ばし、ミスをした選手には声をかけて励ます。シティ戦で決定的なミスを犯した冨安に対して、駆け寄って「顔を上げろ」と言う様に冨安の顎を弾いたウーデゴールの姿は、日本人のプレミアサポーターに深い感銘をもたらした。ロッカールームのことは分からないが、ウーデゴールが選手たちに檄を飛ばしてチームを盛り上げる姿は容易に想像できる。若い選手が中心となったチームの中で、「ノルウェーの神童」ウーデゴールはピッチの内外の模範となる、紛れもないリーダーとなった。

 また、ウーデゴールがキャプテンに就任したことで、副キャプテンとなったジャカのリーダーシップが効果的に発揮されている様に見える。キャプテンマークを剥奪されたとはいえ、もともとクラブ内での信頼が厚いからこそジャカはキャプテンに選ばれたのだ。現在のアーセナルにおいて数少ないベテランであるジャカは、プレイヤーとしての貢献もさることながら、持ち前の熱いハートでチームにエネルギーを注入している。相手チームとの諍いに真っ先に飛び込み、円陣で手を叩いて声を上げるジャカの姿は、ウーデゴールとは少し違った形のリーダーとしてチームにポジティブな影響を与えているだろう。インテリジェンスに溢れたキャプテンと情熱を持ったベテランの存在は、2人のフィールド上でのポジションも含めてチームの「核」を作っており、全ての選手が同じ方角を目指して走り続ける上で、絶対に欠かせないものとなっている。

 2022-23シーズンのアーセナルには確かな「ケミストリー」が生み出されている。それはメンバーリストやスターティングメンバーのラインナップを見ただけでは分からない、ホイッスルが鳴った時に初めてピッチ上で生み出される相乗効果だ。今季のアーセナルは各々の選手が良さを引き出しあい、能力の最大値が継続的に発揮されている。それはシーズン最終盤までアーセナルが首位を走り続ける理由となり、ガナーズが「プレミア物語」の魅力的な主人公であることの根拠となっている。

第2章「ケミストリー」 村井悠




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