逆エクソシスト婆

思い立って夏から車校に通っている。
ずっと先延ばしにしていた免許取得に、
25歳目前にして手をつけた次第だ。


学校に通うのは大学卒業以来で、授業も教習も、学生気分を思い出して楽しい。仕事終わりにスイスイ運転するのも気持ちがいい。
運転は怖いし、最初の方はかなりびくついていたが、最近は安全確認の仕方も大分わかってきた。慎重に慎重を重ねれば、限りなく事故の可能性を減らすことができることも分かった。
何事も不足の事態を想定することが大切なのだ。



それでも本当に運転は“怖い”と思い知らされたのは、無事仮免を取得し、検定コースを練習で走っている時のことだった。


その日は夜で、雨が降っていて、狭い道をいつもより慎重に運転していた。制限速度30km/hのところを20km/hくらいしか出さずに。

仲良しのおじさん教官はいつも穏やかであまり喋らない人なので、私はそこが気に入っていつもそのおじさんを指名していた。運転中にお喋りされると気が散るし、こちらの情報を詮索されるのも嫌だった。今日もわたしは静かなおじさんと静かなドライブを楽しむのだ、そういうつもりで教習に臨んでいた。
 


高架下の薄暗い道を静かに進んでいると、教官が 「あ、 」と声を出した。わたしは教官が何に反応したのか分からなかったけれど、前方をよくよく見ると、“何か”が道路側に登場していた。「何かいますね」「なんだろう」「猫かな」「わからない」「スピード緩めましょう」
少しずつ近づいてくると、“何か”の正体が見えてきた。それは「お尻」だった。紛れもない、お尻がそこにあった。正しくは、人の下半身だけがそこにあった。運転中に人の下半身を目撃したことがあるだろうか?おそらくほとんどの方が無いだろう。人間は無意識に上半身を探そうとする。そうしないと脳みその辻褄が合わないから。わたしも必死に下半身の上あたりを凝視して、そこにあるはずの上半身を探したが、見えるのは向こうの道路だけだった。

異変を感じた教官はハンドルを手に取ってくれた、もう十分左に寄っていたが、右にあるお尻を轢かない様に慎重に進んだ、そしてついにお尻を追い越そうとする時、わたし達はその下半身の正体を見た_____




それは四つん這い状態のお婆さんだった。



四つん這いというと語弊が生じる、足はまっすぐ伸びており、いわゆる長座体前屈の状態で、足とつま先だけ地面について立っていた。体がガラケーのように折り曲がっていたから、後ろからは下半身しか見えなかったのだ。


さらに私達を恐怖に駆り立てたのは、おばあさんの行動だった。おばあさんは長座体前屈の状態で草を抜いていたのだ。なぜ?この時間に?暗い中?雨の中?草を?さまざまな疑問が一瞬で頭を駆け巡った、「ひぇ〜〜〜」という情けない声を出しながら、教習所は無事おばあさんを轢く事なく、通過した。

通過する時チラッとサイドミラーを見たが、そこにはテレビから出てくる貞子のように両腕を地面につけたおばあさんの姿が写っていた。生きてきて一番怖い映像を見たと思った。
夜中と雨とお婆さんは怖いのだ、羅生門の時代からそうだった。なぜその3セットが私の目の前に現れているのだろう。訳がわからなかった。

通り過ぎた後、いつも静かな教官は、こんなことは数十年運転していて初めてだ、あのお婆さんはあそこで何やってるんだ、普通の車からなら轢かれかねない。その場合でも責任は10:0ではなく、車側にも非があることになりますから、とペラペラと喋っていた。さすが自動車学校の教官である、化け物と遭遇したとて、その場合の車と歩行者の過失割合を考えてしまうのかと思うと笑えてきた。そのまま場内に戻って方向変換と縦列駐車の練習をしたが、わたしも教官もうわの空だった、さっきのおばあさんはあのスピードなら今頃このあたりを進んでいるかもしれない、やっぱり幽霊だったのかもしれない、徘徊老人だったのか、あの時間に草むしりするのは頭がおかしい。怖かった。こんな経験は2度とないですよ。とにかくお喋りが止まらない教官が面白かった。

最後に、今まで一才私のプライベートを聞こうとしなかった教官から、一人暮らしかどうか聞かれた、このおじさん、今から家まで着いてくるつもりだろうか、と一瞬身構えたが、一人暮らしだと答えると予想外の反応が返ってきた。



「今日は絶対お母さんに電話しなさい。
やばいもん見たって言いなさい。」



言われた通り電話した。
本当に運転は怖い。

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