30年ぶり4回目 ビバリーヒルズ・コップ アクセル・フォーリー (2024年製作の映画)
四作目の製作発表は三作目(1994)のすぐあとに既に立ち上がっていた。が、結局30年が費やされ、その間にも紆余曲折があったようだ。
ひさしぶりのことには(当然ながら)ひさしぶりだなあという感慨を持つものだが、おそらく「ひさしぶりである」ことはもはや現代コンテンツの特徴あるいはセールスポイントでもある。
やがて何もかもが「ひさしぶり」になっていくのだ。
たとえば結婚できない男やあぶない刑事やブレードランナーやトップガンや砂の惑星やマッドマックスやゴーストバスターズ・・・。
それらのドラマや映画だけでなく、かつてアイドルorタレントだった誰某が、インスタに写真を投稿すると「変わらぬ美貌に絶賛の声」というネットニュースが毎日あがってくる──ことも今やありふれた「ひさしぶり案件」である。
顧みるとこういった「ひさしぶり案件」もしくは「昔取った杵柄案件」に遭遇することは、もはや日常的なことだ。
それは物理的・直接的には医療が進んだことでわたしたちが長寿になり、老いても動ける健康な身体になったことに所以しているのかもしれないが、実際このビジネスを動かしているのは「記憶」である。
アイドルorタレントのひさしぶりのお目見えに「変わらぬ美貌に絶賛の声」があがると前述したが、たとえば今井美樹が「ひさしぶり案件」的にメディアにでてくると、某ヤフコメ欄は1997年の略奪婚(と称される)話題で埋め尽くされる。
人は忘れないが、同時に忘れてもくれない。すなわち記憶は確実性の高い約束であり、クリティカルなセールスポイント=釣りに使える。
本作Beverly Hills Cop: Axel Fも、愉しさの半分以上はreunionによるものだと思う。なにしろ30年ぶりである。映画内の登場人物も「ひさしぶりだ」と言っている一方、観衆も「ひさしぶりだ」とニコニコしながら見ている、という確実性の高いビジネスだった。
このビジネスモデルは、記憶やreunionに頼っている以上、前と同じことをやればいい──という使い勝手にも優位性がある。
で、アクセルはいつもどおり、ぜんぜん面識のないところへ訳知り顔で突っ込んでいくのだった。
まったく無関係の場所へ、そこにおける完全なプロパーであるかのような顔や口調や言動で踏み入っていく──これはおそらくエディマーフィーの独壇場であり、48時間でもビバリーヒルズコップでも映画の脈所になっているが、それがひさしぶり感とあいまって、さらに愉快だった。
また総じて黒人は年齢が解りにくいという現象がある。たとえばゴーストバスターズフローズンサマーの最年長は旧バスターズでもっとも若く見えるアーニーハドソンである。ここのエディマーフィーも若若しくトレードマークのスタジャンが似合っていたし、悪ガキっぽい台詞に違和感がなかった。
逆に、それ相応な年齢に見えてしまうジャッジラインホールドやポールライザーやジョンアシュトンのコミカル演技には「まあreunionだからいいか」と許容せざるを得ない苦しさがあったのは否めない。
監督Mark Molloyはこれが初長編で、マーチンブレスト、トニースコット、ジョンランディスときた後釜となる大抜擢だが、前述のとおりreunionが愉しさを形成してしまっているがゆえに、そこまで完成度にこだわる必要のない映画だった、とは言える。
よって映画は悪くないが、冒頭で述べたように「やがて何もかもが「ひさしぶりのこと」になっていく」のがこれからの記憶ビジネスである。
だからゴーストバスターズのようにreunionに加えて新しいファンを取り込んでいく工夫がこれからの記憶ビジネスには必要なんじゃなかろうか。──と考えたときに本作やあぶ刑事みたいなreunion要素だけのものは主張が弱い気はした。
ところでビバリーヒルズはロサンゼルス郊外の高級住宅街である。
おさらいだがビバリーヒルズコップの設定上の面白みは、犯罪地帯であるデトロイトの破天荒なストリート型刑事アクセルが、管轄外のお上品なビバリーヒルズへやってきてお上品な人たちを相手に荒療治をすることのギャップにある。
謂わば金持ちの風俗や生活様式をばかにするのが面白さにつながっているのであり、アクセルがビバリーヒルズ入りするとき車窓から見えるいかにもリッチな人々を満面の笑みで眺めるシーンがあるが、あれがビバリーヒルズコップの精神性であり、言ってしまえば不当に金を得ている巨悪と上流階級の趣味はビバリーヒルズコップの中では同じく嫌悪される敵である。
つまり金持ちや金持ち的なやり方に「けっ」と思う気持ちがビバリーヒルズコップがヒットしたことの真因なのであって、観衆は庶民に寄り添い上流階級趣味を小馬鹿にするアクセルにたいして声援を惜しまない。
が、現実のエディマーフィーはビバリーヒルズ的なセレブである。
わたしたちは金持ちや金持ち的なやり方に「けっ」と思う気持ちがある一方、貧乏も貧乏人も好きではない。つねに庶民的なスタンスを取ろうとするが、ビバリーヒルズ的セレブ生活を手に入れたいとも思っている。
もちろんそれは今じぶんがどっち側にいるかにもよる。
そんなわけで映画の中の登場人物たちの30年ぶりのreunionは愛しかったが、30年前と現在のじぶんを比べたら、なんとなく落ち込んでしまったという話。w
imdb6.6、RottenTomatoes67%と79%。