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実家の片付け

今日は実家の片付けについて少しお話したいと思います。
今両親が要介護の状態にあります。姉がケアマネさんと連絡を取って、ヘルパーさんの手配、食事の手配などをしてくれています。
私は家が遠方なこともあり、なかなか手伝うことができないのですが、唯一片付けだけはサポートできるのではないかと思い、週1回程度行って実家の片付けをしています。

19年前に母は病気で倒れその後介護が必要な状態になりました。といっても体の方は元気で脳のダメージの方が大きかったように思います。それまで実家の母のことはすべて父任せでいましたが、4年ほど前からでしょうか。いよいよ父も認知症の症状が出始めました。
それから、物だらけになっていた実家との格闘が始まりました。父が元気な間は、物だらけだった実家に遊びに行っても何も気にならなかったのに、両親とも健常な状態ではないと分かったとたん、急に実家の惨状が気になり始めました。

  • 私自身の物を片付ける

残念ながら、両親共に物が捨てられない性格でした。世代とでもいうのでしょうか。私の学生時代の物が丸々残されていました。
でも自分の物は自分で片付けなければなりません。
父が手製で作った棚の上にはプリント類がどっさり、勉強机の引き出しの中も当時のまま残されていました。それらを一つ一つ確認しながら手放していきました。中には小学生のころ書いた漫画まで出てきたり、交換日記も出てきました。服もたくさんありました。締め切った部屋に収められた服たちのほとんどは少しかび臭く、着られないものがほとんどでした。

  • 父の物を片付ける

多趣味だった父は、定年後カメラやパソコンにはまっていました。父のパソコン机の周辺は印刷物やら謎のゴミ(と言っては失礼ですが、私にはゴミに見えた)やらで巨大な牙城が出来上がっていました。
また、DIY好きが講じてかやたらと板を天井に固定してその上に物をおくというのが流行っていました。見ると部屋のいたるところに板が張り巡らされその上に物がびっしりと乗っかっていました。

新しもの好きの父は、家電を買い替えることを頻繁にしていたのですが、高齢になってから捨てることをせずに古いものを溜めていってしまっていました。昨年はパソコン3台をリネットジャパンにお願いしてデータ消去も込みで処分してもらいました。
今年は、父の趣味だったカメラも少しずつ買い取り業者に持っていきました。保存状態が悪く、レンズの中までかびているものもあり、なかなか値段はつかず残念な思いをしましたが。。

父の思い出の物も出てきました。思い出系は最後にとっておきたいのですがそうも言っていられません。父は同窓会の幹事をすることが多かったらしく出欠のハガキがたくさん出てきました。また近況をハガキで送ることが好きで(私もよくもらっていました)、知人に母の近況などを知らせたハガキもたくさん出てきました。

本当は本人に片付けて欲しいものではありましたが、片付けをしていく中で、父のこれまでの暮らしぶりが垣間見れたことは良かったのかなと今はポジティブにとらえています。

  • ベランダを片付ける

これまでの片付けで大変だったことの一つが、ベランダの片付けです。
手入れが終わってずっと放置されていたプランター、バケツ、洗面器、やかん、父の工具などがベランダに放置されていました。
不燃ごみで出せるものはすべて出して、板やプランターを一か所にまとめました。手入れのされていないベランダを見るのは本当に悲しいです。
片付けたことで、洗濯物も干しやすくなり心が軽くなりました。

まだ時間はかかりますが、少しでも父母が快適に暮らせるよう、来年も引き続き実家の片付けを少しずつやっていきたいと思っています。

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