小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第22話

1月22日


今日も息子の熱はなかったため、検査もしなくていいとのことだった。
やっと少しほっとした。
今日も念のため、学校は休むことにした。

手洗い用の機械が玄関に置かれるようになった。
センサーにより自動で水と石鹸がでるものだ。
これは水をろ過して、循環して使うシステムだという。
ボウルのふちにLEDがついていて、青い光が素敵だがエコではないような気がした。
近くに置いてあるペーパーで手を拭いてペーパーを捨てる。
衛生的になって、本当に嬉しかった。

朝ご飯はお菓子のセットと水だった。
お菓子セットはジッパー付きのはがき位の袋に公益社団法人のシールが貼ってある。
せんべい、飴、チョコレートなどが入っている。
ないよりはましなのだが、お菓子より先に食事になるようなものを送ってほしいと思うのは贅沢だろうか。
袋にお菓子を詰めるのも時間がかかっただろう。

私だけ、義父母の家に歩いて片付けに行った。
ごみ袋や掃除用品がどこにあるのかがわからず、探すところから始める。
作業中にまた、怪しいところからのメールがくる。
うっとうしいので、着信拒否にしようと決意する。

なんとか掃除道具を見つけて掃除を始める。
最初に、軍手をして、床の上の陶器の破片を拾い、段ボールの箱に入れる。
大きなかけらを拾った後、ほうきでかけらを集める。
掃除機もかけたいが、この地区はまだ停電している。
近くの電信柱が倒れているせいだ。

流し台の上のウスターソースが倒れて、一番上の引き出しのトレイにたっぷりとたまっていた。
引き出しを外し、ソースを外の用水路に捨ててきた。
家の中の配管が大丈夫かどうかがわからないので、外に捨てるしかない。
細かなものがウスターソースに漬かっていた。
とりあえず引き出しのものを全部出し、ためておいた雨水を使って、洗えるものは洗い、ウェットティッシュで拭いた。

シンクには正月の昼に使ったお皿が洗わずに残っていた。
義母はもう少しまめな人だと思っていたが、正月だと思って油断していたのだろうか。
おせちも重箱の中で傷んでいた。
魚介類は腐敗した臭いが強いので、なるべく近寄らないようにしてごみ袋にいれた。
夜に食べようと思っていたらしいお雑煮も鍋の中に残ったままだった。
少しカビが浮いていた。
正月だったことがむしろ台所に悪い結果をもたらしていた。
夏ではなかったことがせめてもの救いだった。
すべてごみに捨てて、雨水で洗った。
洗剤を使うとすすぎの水が足りないから洗剤は使えない。
タオルで水を拭きとった後、ウェットティッシュで拭いた。
カビやゴキブリの被害を逃れるための最低限の対応だった。
本当なら給水車の水がいいのだが、車を使わないと持ってこれない。
お雑煮の鍋は餅がくっついてとれなかったので、水につけて置く。

冷蔵庫の中のもう食べられないものを出した。
数年前に賞味期限が切れた食べかけの瓶詰めの佃煮やジャムなんかもあった。
少しイライラした。
冷蔵保存のものはすべて捨てた。停電になって20日以上もたっているのだ。
賞味期限など関係ないだろう。
ポン酢や焼き肉のたれの瓶もいったん出した。
冷蔵庫の中で残ったのはお酢くらいだった。
冷凍庫には氷が解けて水がたまっていた。
不用意にカップアイスを持ったら、液体がこぼれて冷凍庫にかかってしまった。
中身だけそっと外に捨て、ウェットティッシュで冷凍庫を拭いた。
解凍されてしまった肉は袋に汁がたまっていたので、こぼさないようにごみ袋にいれた。
タッパーに冷凍してあったお惣菜が3つほどあったが、
タッパーを洗う気になれなかったのでタッパーごと捨てた。
冷蔵庫の中のものを片付けるのに迷いはなかった。
あっという間にごみ袋がいっぱいになった。

みかんを2こ見つけたので、息子に食べさせるために持っていくことにする。
元々孫に食べさせようと思っていたものだろうし、持って行っても文句はないだろう。

作業は途中だが、昼ご飯の前に帰る。

今日は炊き出しをしていて、みんなが並んでいた。
息子に電話すると、私の分は取ってあるといったので、並ばずに済んだ。
トマトミルクソースのフェトチーネだった。
少し冷めていたし、ナポリタンではないが、パスタなだけで嬉しかった。
おかわりがあるという放送があったのでもらいに行った。
完食したがさすがに多くて、ちょっとのどまで逆流してきた。
無理はできないものだ。
ついこの間まで水分さえ取れないくらいだったのだから。

午後も義父母の家の片付けに行った。
流し台にあったものはほとんど洗って、拭きあげることができた。
ウスターソースに漬かった箸置きは何回洗ってもウスターソースが染み出てきた。
自分のものなら捨てるのだが、水につけて置いておく。
雨水しか使えないのは残念だけど、水が出るようになったらもう一度洗剤できちんと洗えばいいだろう。

古い佃煮の瓶はビニール袋を手袋代わりにして、中身を取り出し、水につけておいた。
ジャムの瓶は開けられないかと思ったが、なんとか開けることができた。
台所の生ごみはだいたい片付けることができた。

トイレがやたらと臭うので覗いてみたら、汚物が残ったままになっていた。
何日か前に流そうとしていたのは、こういうことだったのか。
簡易トイレを使っていたはずだが、認知症で上手くいかなかったのだろう。
避難所で生活した今では簡単に想像がついた。
このことを説明してくれたってよかったのに。
いったん、漂白剤を入れて置いた。
片付けるためには何がいるのかを考えなくては。

4時過ぎに帰った。
のどが渇いたが、避難所に水か白湯以外に飲むものはなかった。

夜は白米とカレースープだった。
息子の分も取ってきた。
息子は元気になった分、退屈そうだった。
ゲームと動画漬けになっていて、あまり良い状況ではなかった。

対策本部前に食料の支援物資が置かれるようになっていた。
インスタント味噌汁や缶詰などだ。
その中に駄菓子があった。
昔話の絵が描いてあるえびのせんべいと棒状のスナック菓子をもらった。
甘い物よりも、しょっぱいものが食べたい。

O市職員が回ってきて、避難所の名簿を作成するからと言って、用紙を置いていった。
避難してから何度も名前と住所を書いているような気がする。
どうにかならないのだろうか。
夫に連絡して、夫の分もこちらでまとめて書くことにした。

怪しいメールを着信拒否に設定できた。
着信拒否しても別アドレスで来ないとも限らないのが、少し怖い。

胃もたれで、水がのどに上がってきそうになった。
やはり昼は食べすぎだったようだ。

体育館に置いたままになっていたイヤホンと携帯電話を使ってビートルズを聴いた。
ビートルズはすごく好きというわけではないが、ドライブの時にはちょうどいいので、時々聴いている。
気持ちが少し落ち着くような気がした。
イヤホンは耳が痛くなるので、あまり長い時間は聴けない。

夜は寒くて目が覚めた。
やはり体育館は寒さがこたえる。
何か防寒具を持ってこないといけない。

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