小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第19話

1月19日


朝ご飯はりんごと缶入りパンだった。
りんごと昨日のスイートポテトの残りを食べた。

父はめでたく隔離解除になり、早々に部屋を出て行った。
今日は弟の家の留守番をすると言っていた。
私は一人になって、スペースが少し広く使えるようになった。

新しい家族が二組入ってきたが、熱はなく、咳だけのようだった。

お昼は駐車場にキッチンカーが来ているのを、Mさんと上から眺めていた。
というのも、お昼ご飯が遅くなるという放送があったからだ。
キッチンカーで親子丼をつくっているようなのだが
いつになく行列になっていた。
Mさんは以前、自衛隊の炊き出しがあった時に、足りなくなって食べられなかったことがあったそうだ。
それで今回も足りなくならないかすごく心配していた。
確かに放送で、どこかの教室の人はカップみそ汁を取りに来てくださいと言ったことがあった。
他にも、牛串といくつかのメニューがあった時に、避難所以外の人がたくさんきて、牛串が先になくなったこともあったそうだ。
私も牛串は食べていない。順番が遅くてもらえなかったのだろう。
それ以降、避難所の分を確保してから、外の人に配布するようになったそうだ。
Mさんはボランティアをしているからよく知っているのだ。

Mさんは明るい人だった。
避難所でも、性格が陰か陽かは、泥水を置いておいたように、自然と明らかになる。
私は地震で陰に磨きがかかったように思う。
地震のショックで一時的に変わってしまう人だっているだろう。
でも明るい人と話すのはおもしろいし楽だ。
のどの痛みは減っていたが、声はかすれているので、ほとんど相づちを打つだけだった。

行列の最後のほうに私たちの分が運ばれてきた。
1時30分を過ぎていた。
親子丼のお肉はとても大きかった。
唐揚げ用か、それよりも大きいかもしれないくらいだった。
わざわざ豪華にしてくれたのだろうか。
肉はやわらかく、味はレトルトをもう少し美味しくした感じだったが、
味覚が正常だという自信がないのでわからない。

タブレットで持っている漫画を読み直していた。
こんなことなら電子書籍をもう少し買っておくんだった。
イヤホンがないので、音楽が聴けない。
地震が起きるまで、私は毎日カラオケで歌うための曲を聴き、
カラオケアプリでカラオケをしていたのだ。
今は声を出すことすら難しい。

晩御飯はラップにくるまれたおにぎりと肉団子の甘酢あんかけだった。
おにぎりは家庭的な味がしてほっとした。

新しく隔離部屋に入ってきた人たちも二次避難を予定しているようだった。
避難所生活が長期になると、そうなってくるだろう。
断水解消のめどが立たないのだ。

Mさんからこの前の、カップ入り水ようかんをもらった。
家族が糖尿病だから食べられなくて、と言った。
避難所の食事で糖尿病の人が食べられるものはほとんどないのではないだろうか。
どうしているのか、聞きそびれてしまった。

夫から熱が出たというメールが来た。
検査は明日するということだった。
息子はどうしているのかと聞くと、隣の部屋にいるということだった。
パーティションにより、2人で1部屋、3人だと2部屋になっているという。
特に症状はないようだった。
息子も発熱しないか心配だった。
私にたこ焼きを持ってきたのがよくなかったのかもしれない。
あのとき、話をせずに置いて行ってもらえばよかった。


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