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祭りのあと ☆93

昨日は香具師(やし・フーテンの寅さんの商売)の親分の話を書いた。

私がいろいろなバイトした中でも、香具師のそれは面白かったと思う。

それはハッキリ言って異世界そのものだったから、異世界をちょっと覗いてみたい私にとっては、詰まらない事でも面白く感じてしまったのかも知れない。

ガスボンベを届けに行った先には、全身隈なく刺青を入れた綺麗なお姉さんが居て、

「ありがとうね~!!」なんて屈託なくやさしく微笑んでくれる、そんな体験した事ないだろう?これは、間違いなく異世界だ。

私は香具師の世界に憧れていた訳ではないし、何も期待していなかった。何なら酷い目に遭うかも知れないと少し覚悟していたと思う。

でも、1度くらいは体験して損はないだろうと思った。酷い目に遭ったなら辞めてしまえば済むだけなのだ。

それでも応募して、その後も何回か働いたのは、有り得ないような体験の連続だったから、楽しかったと感じたからだろう。

けれど、これを読んで、まさか興味を持って自分も体験してみよう、なんて思われると責任を感じてしまうので、断っておくけど、

今はどうか知らないが、当時の彼らの世界にはコンプライアンス(法律遵守)なんてなかった。

労働基準法では5時間以上働いたら休憩時間を与えなくてはならないのに、12時間以上働いても休憩時間はぜんぜんなかった。

弁当はあちら持ちで出してくれたし、それを食べる時間は与えられたが、それだけだった(長時間拘束なので夕食も買って来てくれた)。

で、雑用もさせられるのだが、資材など届けたり、水汲みなどさせられるのは、考えようによっては解放されて、少し自由な時間だったと言えなくもない。


昨日の続きになるが、大親分の経営する大きな店は、下を板敷にして、テーブルが8台くらい置かれ、店の前では甘酒、豚汁、お好み焼き、焼きそば、焼き串、手羽先、アルコール各種などが売られていて、

客はそれを買って店内でも食べられるのだが、暮れから正月の話で店は繁盛していたが、私は38時間ぶっ通しで働かされた(会社の正月休みを利用した
、よい稼ぎにはなった)。つい最近の記事で徹夜は出来ないタイプと書いたが、この時は何故か出来たのだ。

当初は、途中トラックの中で寝られるような話をされていたが、実際はそんな時間を与えられなかった(食事だけは夜食もきちんと出たが)。

で、それは私だけではないのである。串を焼いたり、焼きそば作ってる人達も、みな50代くらいの人(本職)だが、彼らも働き続けているのだが、

けれど、彼らは何だかんだ言って、上手いこと交代で少し休んだり、店の物をちょろまかして食べたり飲んだりしているのである。

でも、これは、おそらく親分達も大目に見ていたのではないかと思う。

休憩時間がない職場なので、彼らは自分で適当に休んでいるのだ。それはある程度彼らの常識で、そうでないと本職として身体が続かない、言わば必要なサボりであり、つまみ食いなのではないか?

そこは上手くやっているし、幹部連中も見て見ないふりをしていたように思えるのである。


そんな事を観察したりしながら、私はなんとか仕事を粉していたが、

私と同じ立場のバイトのお兄さんは、雑用を指示されて私と2人だけになった時に、心が挫けそうになっていた。半分ヤケになって私に不満をぶちまけていた。

香具師どうしが大喧嘩しているのも目撃したし、ゴミの分別もしていないし、悪い面を書こうとすれば、もっと幾らでもダークな風にも書けるのである。

ただ、彼等には彼等の暮らしがあるし、彼等は彼等で真っ当な商売をしている積もりなのだ。これは昭和くらいなら当たり前の世界で、

社会の変革から取り残された結果、異世界のように見えるのだが、

ただ、私の体験はコロナ前の事であるから、今はおそらく激変しているだろうと思う。

まだ書きたい事は残っているので、いつか機会を見つけて書こうと思っている。

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