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海辺のカフカについて

村上春樹の海辺のカフカを読んだ。
感想としては、イマイチしっくりこない印象だった。以前読んだ騎士団長殺しの方が読了感は良かった。

1番引っかかったのは、主人公が自分の母親と同じくらいの年齢の佐伯さんと性的関係を持つという違和感。この辺りの解説はいろんな人が記事にまとめているので省く。

海辺のカフカのテーマが自分に合わなかったが、それ以外の四国での主人公の生活やナカタさんの過去の異常な体験、あちら側の世界への繋がりかたなどは楽しく読めた。
今回は、自分になぜ合わなかったかを少し考察する。なんとなく合わないで終わらせるのではなく、どの部分が合わないかを認識すると、自分が共感しやすいカテゴリを把握することにつながる。

手法としては、以前読んだ騎士団長殺しとの比較を使う。具体的なサンプル同士を比較すると、自分の中のモヤモヤが言語化しやすくなる。

・話の問題提起
騎士団長殺しでは、主人公は妻と離婚して傷心状態、志半ばだった絵描きとしての自分の絵を描き始める
→一般的にありそうな話、共感しやすい

海辺のカフカでは、主人公が母親から捨てられた上、父親から精神的虐待を受けており極め付けに「お前は父親を殺し、母親を犯す」という呪いを受ける
→エディプス王の悲劇を引用する教養臭い表現や主人公の境遇が特殊、共感しづらい

・主人公が物語を進行させるキーアイテム
騎士団長殺しでは、主人公が肖像画を描くという行為によって登場人物の深層心理にアクセスできる
→能動的な行動で、偶発的に事件に巻き込まれる展開が納得のいく流れをとるので違和感が薄い。

海辺のカフカでは、主人公が運命に巻き込まれる形なので自主的にできる事は少ない。故に、ナカタさんという特殊な能力を持った人間が物語を進めていく。
→起きる出来事に対して受動的、その原因が物語で定義された呪い。主人公も終盤まで呪いに対して翻弄され続ける描写が多くどうしようもない、という印象しか読者は受けられない。

大体の話の違和感はこの辺りが原因と思われる。
最終的に主人公はあちら側の世界でメタファー的に母と定義した佐伯さんを許し、母に愛されていたと自覚する事で元の世界でも生きていく覚悟を持つので、前向きな終わり方はするものの上記のようなそもそもの問題提起や話の進み方から納得がいかない部分を感じたので終盤の置き去り感は残る形となったのではないかと思う。


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