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暴-レンジ

時の試練に耐えうる芸術にはやはりというか当然、確固たる理由や人々を掴んで離さない、ある意味呪いにも近い魅力が備わっているのが常。弱冠二十歳過ぎの小僧ですが名作からただの鑑賞に終わらず何かを見いだせればと思いの丈を綴っている次第です。

今回鑑賞したのは「時計仕掛けのオレンジ」。誰もが一度は耳にしたことがある名作。映画といえばアクションやSFといった映像である事が最上に活かされる作品を専ら好んでいるのですがいつぞやの読書で「快適な場所に居続けるより少しいつもとは違う、真新しくある必要はなくほんの少し、いつもと違ったことをするだけで人は成長できる」なんて見たことで感化されました。幾分か話がそれましたので本題に入りたいと思います。

こういった自由な場であるからこそあまり詳しくあらすじは書かないでおこうと思うので詳細は省きますが第一印象は人間の社会性という皮を剥いだ内の中の内。平たく言えば本能のようなものが生々しく描かれていてゾッとしながらも目が離せない映画だと思いました。

暴力はいけない。と一言で片付けるのは簡単でしょう。しかし実際問題として向き合うときには何の役にも立ちません。そしてその本能は生まれる場所や環境、教育や貧困など様々な理由で表に顔を出します。技術的にも近しくなってきているような現代においていったい私たちはこの背けたくなる事実とどう向き合うのか。それとも向き合わないのか。そもそも向き合うなんて考えは楽観的すぎるのかもしれない。古さを感じさせず、今見ても色褪せない名作だと感じました。

誰しもが残虐な事件や海外の銃乱射事件を見て人ごとのような顔をする日本。しかしそういった事件は一向になくなる気配がない。日々の喧噪に身を任せてそういった本質から目を背けがちな日本人としてある種の後ろめたさを感じる瞬間もありました。

最後の終わり方で原作者とスタンリー・キューブリックで一悶着あったらしいですが個人的にはどちらに転んでも非常に多義的でかつ芯を捉えた映画として語り継がれる映画になったのだろうと思います。

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