死生観の話から
状況説明
ともつくのイベントで波賀に行って、余命半年と言われて残りの半年で大切にしたいいことから、価値観を知るコンテンツがあって。
私はいつものように安楽死の話をしてて、
これは嘘だ!と思ったときに、
なんで生きてるの?
の問いに涙が溢れてきた。
悲しいわけでもなくて、自分すらなぜ涙が出てるのかわかんない
そんな出来事がありました。
以下、その日の日記
安楽死は表の私
もっと深い私は違う
表ではなく、核に近いところだけど、中心部は違う
死を怖がり、あらがうのが嫌だ。
「死にたくない」と生に執着しているのが嫌だ
感情を爆発させることができないんだよ
「勝ちたい」「認められたい」
そんな感情をずっと押さえつけて生きてきたんだと思う
それは、おさえなきゃ!ではなく無意識に
でもこれってすごく前から
小学生の頃から勝ち負けは苦手
きっと家の話になるんだ
叶わないのがつらい
願っても変わらなかった過去?
だからきせきさんに魅せられたのかも
馬鹿にされそうなくらい大きなことを、自信を持って伝えているから
自分に自信がない
保険をかけている
ハードルを飛ぼうとせず、抜け道を探している
志望校も夢も、痛みを避けるため
自分を、周りを納得させるため
ハードルを消すため
ゴールではなく過程に集中するため
それを正当化するため
絶望的な挫折はどこだ?
2024/02/04
自分に自身がないから、
自分の直感を信じられなくて、
思考して、自分も周りも納得させてるね
志望校とかまさにそうすぎる
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