66 振り返って

66【振り返って】

ここまで書くのに、思っていたよりも膨大な時間がかかった。しかし、親の頭がおかしくて苦しんでる人たちは世の中にたくさんいるので、少しでも共感してもらえたらと、一生懸命書かせてもらった。

こんな稚拙な文章を読んでしまった被害者のみなさんに心からお礼を言いたい。

自伝と銘打ってあるわりには、心情を中心に、エピソードは少なめに書いてしまったなと、反省があるが、僕の人生はペラペラに薄いので、ある程度、仕方ないかなとも思う。

冒頭で書いたが、この世界はクソである。

今、幸せな人は、たまたま自分が幸せなのだということに感謝しないといけない。

プラス思考で誰でも幸せになれる、など歯の浮いたようなことを本気で思っている人は傲慢である。謙虚になれと言いたい。

その人たちの頭の中には、最初っから、生まれてすぐ死ぬ命は、入っていない。

親に虐待され、四歳で殺されるだけの四年間が人生そのものだった。そんな子供も世の中にはたくさんいる。

そんな子供のことは、最初から頭に入っていない。
そして、平気で、誰でも幸せになれるなどとほざく。

世の中はクソだ。

今、幸せな人は、たまたま幸せなのだ。

僕はたまたま幸せになった。周りのおかげである。

たまたま幸せだからこそ感謝できるのだ。

もし、必然で、自分の百パーセントのコントロールで幸せになれるのであれば、感謝などいらないではないか。

たまたまだから、感謝するのである。

僕の単独ライブでは、お客さんに合わせたネタはやらない。自分がやりたいことをやる。

それなのに、来てくれるから感謝できる。
それなのに、笑ってくれるから感謝できる。

近々、【モノの考え方】という内容の本をnoteに書こうと思うが、その前にここで言っておきたいことがある。

あなたが、例外だと思っていることが、あなたの考え方の本質をあらわすのだ。

さきほどの例でいくと。

本屋さんなどで、人は誰でも幸せになれるなどというタイトルの本が売ってある。あるいは、そういう考え方の人がいる。

「生まれてすぐ死ぬ命は?」

「虐待されて殺されるだけの命は?」

そういう問題を提起したらどうだろう。

例外として、そういう命は最初から議論の中に入っていないのだ。仲間はずれなわけだ。
実はそこに、大切な要素がある。

つまり、この【誰でも幸せになれる説】の提唱者にとっての【幸せ】の定義が見えてくる。

意思決定できない人は幸せにはなれないよ。諦めてね。監禁されたりしたら仕方ないよ。諦めてね。

そして、そうではない前提の人たちを集めて、プラス思考をススメているわけだ。

非常に気持ち悪い。

そして、お前の幸せなんてものは、そういった無残な殺され方をする人間を助けようともしないで、自分や例外以外の仲間だけが満たされる幸せに過ぎない。

断っておくが、僕はプラス思考である。

しかし、プラス思考で救えるのは、せいぜい自分一人と周りの人の小さな未来であり、それですら幸せになれる可能性を少しあげるだけで、絶対の保証などないことを知っている。

それでも、良いから僕はプラス思考なだけである。


何度も繰り返すが、今、幸せなら、それはたまたま幸せなのだ。

学校の先生が当たり前のように言う。

「お父さん、お母さんを大切にしなさい」
「お父さん、お母さんの言うことを聞きなさい」

お父さん、お母さんに虐待されてる子供はそれを聞いて絶望を覚える。

「このクラスにはイジメもなくて、みんなのこと、先生は誇りに思う」

それを聞いたいじめられっ子はどうなる。

お前が例外と思っていることの中に、お前の考え方の本質が詰まっている。

【例外】の人たちを救える宗教や考え方が出てきたら、それこそ真の宗教であり、真の幸福論だ。

頭の悪い僕には到底思いつかないし、そんな宗教を僕はまだ知らない。

これを読んでいる【例外】の人がいたとしたら、僕は伝えたい。

僕はキミのこと、例外とは思ってないよ!!

僕はたまたまだけど、幸せになれたから、キミも幸せになれるといいと心から思うよ!

キミがもし不幸のどん底だとしたら、僕がキミより頭が良かったから、幸せなのではないし、キミより考え方がまともだから幸せなのではないよ。

キミより努力したわけでもないよ!

たまたまだよ!

僕は、幸せになる方法はわからないけどこれだけは言いたい。

【例外】の仲間たちは、この世の中にたくさんいるよ!僕ら、仲間が会えるまで、死なないことを祈るよ!!

【プチ虐待のススメ 完】


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