コラム【夏目漱石はアイラブユーをなぜ意訳したのか?】


突然ですが、質問です。

「君を愛してる!」と自分の好きな人に言えますか?

多分、多くの人は言えないですよね。

アイラブユーを「月がキレイですね」と訳した夏目漱石じゃありませんが、日本人はそんな愛の伝え方はしません。

言えません。

恥ずかしくて。

表現というものは、腑に落ちることが大切なのです。ストンと身体におさまる感覚。

意味としては、同じことを表現していても?

そうなんです。

同じことを表現していても、です。

夏目漱石が、アイラブユーを“君と見る月はキレイだ”と訳したのは、そのほうが、日本人の“腑に落ちる”と判断したからでしょう。

関連した話題なのですが。

“言い換える人”っていますよね。

何のことかと言うと。

「でさー、そいつがさー。(中略)で、むかつくやん?」
「腹立つんや」
「いや、腹立つっていうより、なんていうか、こいつナシやなって感じ」
「ふーん、つまり、その人のことを嫌いなんや?」
「いや、嫌いというか、距離置きたいな、この人って感じなんよね〜」

なぜ毎回言い換えてくる??

と、会話してたら思ったりもしますが、僕もよく言い換えます。

嫌いというレッテルは、剥がしにくいけど、“距離を置く”は対処の問題なので、より理性的な感じもしますし、僕自身、人のことをできるだけ、“嫌い”と思わないようにしてます。

僕は、言い換えたくなるんです。

いや、人は言い換えたくなるものなのです。

「彼女さんのこと好き?」とか聞かれたら「うん」と答えることができても、「彼女のことを愛してる?」と聞かれたら「あ、愛してるって!?よ、よせやい!そ、そんなんじゃないやい!」となりませんか?

それと同じです。(いや、もちろん、ならない人もいるからこそこのテーマで話しているのですが)

腑に落ちる表現というものがあるんです。

それぞれの人間にそれぞれのセンサーがあって、それぞれの“腑に落ちる表現”でなければ芯にある感情にアクセスできない。

“腑に落ちる表現”を大切にするというのは、その人の大切な感受性であり、また文化的な側面もあります。

関西人が「アホは許せるけど、バカって言われると、バカにされてる気がするから腹立つ」などと言うのも、つまりはそういうことです。

「昨日、結局夜はなにをたべたん?」

「あー、あれから中華そば食べたよ」

「ラーメンかあ。ラーメン美味しいよね」

「ラーメンというか、中華そば食べたわ」

「一緒やんけ!どうちゃうねん。しばくぞ」

「どつくなよ!そんなことで」

「どつくんじゃないねん!しばくねん!」

「それもどう違うねん!」

とまあ、揉める可能性すら、あります。

さて、これからの文章で僕が何を言いたいかと言いますと。

言葉に対する感覚を、【自分に対しては鋭敏に】意識して使い、【他人に対しては、おおらかで許容力のあるマインドで】接するということが大切だということです。

それによって、ケンカや争い大幅に削減できるということです。

僕にとって、“腑に落ちる表現”にし直しますと、人生、揉め事が少なくなって、気楽でハッピーになれるということです。

再掲しますが、下記の二つだけでも抑えておけば、人生は楽しいです。

①【自分に対しては鋭敏に】

②【他人に対しては、おおらかで許容力のあるマインドで】

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