鬼滅の刃を哲学すると言う本を読んで


この本📕を読んでみて、哲学って言うのはどう言うものかが考えてみることにした。

①哲学と言うものは「納得させる度合い」を競い合うもの

哲学と言うものはどうしんみりと納得させることに重きを置いている気がする。例えば、炎とは、呼吸とはと言うように始まり、この炎🔥と言う語源は○○だ、だから人間においての○◯である、この呼吸と言うものは鬼滅の刃において◯◯と言うセリフで語られており、人の力を最大限に引き出すものなのだ、と言うような発言の仕方をするのが哲学だ。

ここで、哲学を読んで良い悪いと判断させる基準にはどのぐらい納得させられたかが主だと思うんだ。

チンプンカンプンなことを言ったって、そんなわけないだろ!ってなるしがっちがっちの語源を辞書から引っ張ってこうですよと言われてもただ、調べてることそのまんま書いただけじゃんとなる

いわゆる、とあるものを人間にとっての何かに置き換えるメタファー(比喩表現)がどのぐらい一般の人々でも納得できるかが、良し悪しの判断の一つに思う

これは、90点の納得感があったぞ!、これは55点で微妙…あんましっくりこなかったと同じこの本の中でも様々な良し悪しの判断が読んでいる中自分の中で感じ取れたのだ

そこで、漫画や詩や俳句と言うものはある意味哲学と相性が良いと言うか、哲学の一種とも言える

例えば、詩と言うのは春の桜🌸、鳥🦆が今のこの気持ちに近いと感じ取られるので、こう言う表現をして書こう!と言う感じで書くのが一般的だ

しかし、これは哲学とほぼ似ている

詩と言うものはさらに、そこに5,7,5でまとめる表現、漢字の使い方など細かい工夫をして競い合うのががっちがちの言葉を並べるだけの哲学とは違うのだが、本質のやっていること自体は一緒なのではないか

春の桜🌸の気分は、人間(私)にとってこう言うものなのだ!どう、納得させるようにして書くか、どう表現して書くか、これはまさに哲学の本を書いているときと同じく気持ちだ😊

漫画だってそうで、もちろん最初からこう言う人がいる、こう言う人いるよね〜のあるある、この戦いの表現すげぇえ!、この展開すげぇえ、この能力おもしれぇええ〜!など様々な楽しませ方があるが、鬼滅の刃に出てくる炎🔥、呼吸😮‍💨、全集中、侍などこれが人間にとって何を意味するかを漫画ぐるみでうまーく表現しようとして書く方法を取ることもある。
何なら、鬼滅の刃が元からそう言う哲学的な部分をよく使っている可能性もある

実は、この本📕を読んでみた時に所々納得できる箇所があったのだが、実際の作者が本当にそう思って書いてるんじゃないの‼️と思うぐらい納得できるページがいくつかあった

もちろん、この本📕の作者が哲学がうまい可能性もあるが、俺には元から鬼滅の刃は哲学的な部分の強い漫画で、そこからすぐに哲学的な部分は読み取れるのでそれをそのまんま文章にしているだけなのでは?と思えてしまうのだ

つまるところ、元から面白いツイートがあって、それを「これ面白えぞ!」と引用リツイートすることであたかもその引用リツイートが面白いツイートに見えると言う汚い戦法を使っているように思えるのだ

なぜ、「鬼滅の刃」を題材に作者がしたのかと言うと、もちろんヒットした流行に乗ることで自分の本もヒットしやすくなると言う意図もあったわけで、さらにそこから元から「哲学的に面白いツイート」が散りばめられていて作者の本📕の中で「引用リツイート」しただけと言う可能性もあると思っている

もっと言うと、本を読んでいる間に何度も「これ鬼滅読めば当たり前に分かるくね?」と言うような内容がたくさんあったのだ

ちょっとずるいかもしれない😥この本📕は

②哲学は本質的な部分を突き詰める必要がない

哲学と言うのは、あくまでも鳥🦆がそう見えるんだ!面白いね!!、鳥🦆をそう言う表現で表すんだ面白いね!(これが詩や俳句とほぼ同じところ)、鳥🦅って人で言うその部分に通じるところがあるね!と言う納得をさせる学問であったり、何ともしんみりとさせたり、感動させたりする学問なのであって、別に本当にそうであったり本質的な部分とズレていても最悪大丈夫なのである🙆‍♂️

その表現方法や、例え方が面白くあれば許されるのである

なんなら、本質とはズレているものにこそ納得させてしまう、騙してしまうのが哲学の面白さなのではないか

哲学を書く方は、本質的なことで表現するだけでなく、どう騙そうか、どう◯◯に見せようかと考えたりするし、
哲学を見る方は、これはたしかに現実に起こっていることだ、これは真実だと納得するだけでなく、どうしても◯◯に見える‼️、すごいたしかに◯◯と感じる!と言うそれぞれの楽しみ方をするに違いない🤩

もちろん、本質的な部分を貫いているから納得させることで面白い、と言うものもあるが
表現方法で面白くさせることで面白い、本質とは関係ないことが分かってもなぜか納得してしまうと言う哲学の手法もあるのだ

詩だと、人間一般よりも自分の心を特に表現できれば良いので納得させると言うよりは感動させる方がずっと大事に思うが、やはりやっていることが似ている部分もあると思う

詩でも本質と言うよりも、どう自分の心を春の桜🌸や鳥を使って5,7,5と言う短い文に収めて表現するかが問われており、相手を感動させる
もしくは納得させることに重きを置いている

漫画ではしばしば人のたった一言で語れる本質と関わることについて、50話以上ものバトルシーンを通していかに絶妙に、壮大に表現するかどうかで面白さを出すことが、特にジャンプ漫画ではあるが、それだけでなく鬼滅の刃みたいに炎🔥とは、呼吸😮‍💨とは、と言った物的な物に対してもそれを「剣技」にすることでバトルシーンに生まれ変わらせることで面白く表現するものもある。これもいわゆる哲学の一種に思える

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