葡萄は食べると止まらない。歯止めの効かない人の欲

私は今日購入した葡萄1箱を全て夜のうちに食べてしまった。一箱500gである。夕方に購入し、食後に1時間で消費した。罪悪感を感じている。過去にも何度か同じ過ちを繰り返しており、今年は今回で3回目だ。
罪悪感を感じているのは、葡萄の糖質がやや高めであるからだ。急激な糖分の摂取はインスリンの急上昇を促し、空腹による睡眠障害にも繋がりかねない。ダイエットをしている私にとっては断ち切るべき習慣である。
しかし、葡萄も良くない。通常の葡萄は粒が密集し房となる。そのうちの小さい一粒のみならば罪悪感を感じず、次へ次へと食べてしまう。恐ろしいのは、全て食べ終わった後から罪悪感を認知し始めることである。この構造から、葡萄が人間の欲を理解していることがわかる。葡萄にも勝てないとは、人類(私)の欲は制御不能なのか。
人間の欲は歯止めが効かない。その貪欲さが人類を豊かにしたと感じる。しかし、ある程度得ることができた我々は同種同士で比較をし始める。強欲な個人が他人と自分を比較し優劣が生まれる。人間には平等などないのに、ずっと昔から平等を求める。近代は身分制度として優劣が露骨に出た。下級の者は制度さえ変われば平等になると信じていたし、その制度を原因にできたからよかった。しかし現代の主義では、優劣は個人の努力によってつくとされ、上に行けない者は原因を自分に向ける。
違う。元から人間に平等などない。遺伝子や環境により大きく作用されるからだ。もちろんこの意見はある哲学者の受け売りだ。しかし、だからといって自分の能力を弁えてその場に居続けるわけにはいかない。ならば、自分が少しでも変わって、次世代に繋げようと考え、無駄に頑張ろうと意気込んでいる。


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