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善意のフリした野次馬になってないか?(2024/02/04)

 ※この記事は、自分の経験を通して気づいたこと、自分自身が反省して次の経験に活かそうという意図で執筆しています。特定の誰かを批判する意図はなく、もしこの記事を読んで、共感や気づきを感じてくださった方がいれば嬉しく思います。


 何度か記事にしていますが、夫は能登で生まれ育っており、夫の親きょうだいは能登に住んでいます。令和6年能登半島地震により、被害を受けた地域です。(自分たちは関東在住です。)


 地震が起こった当時、私の実家がある関東地方にいました。私と夫は、防災アプリで夫の実家の地域もアプリ反応の対象地域に設定していましたので、けたたましい緊急地震速報の音が鳴り響きました。

 テレビも見ていましたので、これは大変なことが起こったと思いました。と、同時に、あまりにも大変なことが起きていると思ったので、咄嗟に連絡するのは控えていました。停電の可能性もあるかもしれない、停電してなくても電源の取れないところに避難することになるかもしれない、など。

 夫のもとには、発災数十分後に、大津波警報により高台へ逃げる最中の義母から、とりあえず無事だとの電話はあったようです。

 離れたところにいるため、どれだけ心配しても何も出来ないと思いました。祈るしかできない。せめて、現地で大変なことになっている人たちの迷惑(負担)にならないように余計な連絡をしないようにというのが、その時点で私が気を付けるべきことと思いました。

 それから数十分後、私の夫の実家が能登であることを知っている数人から、私にも安否確認の連絡がありました。関東にいるから余裕を持って無事だと返事しましたが、、、冷静に考えたら正月なので自分もあちらにいた可能性もあるわけですし(だから安否の確認してくれたんだと思うのですが)、もしそうだとしたら子供らを引き連れて電源の取れない高台への避難を必死にしている最中だと思うし、情報を取りたいツールであるスマホバッテリーの残量考えたら、大変恐縮ながらそのタイミングで安否確認されるのは正直負担だろうなと思いました。

 そこで、です。当然ながら夫には、私よりもそういった連絡が多かったようで、私と似たような感情を抱いていたようでした。

 地震から数日後、noteやそのほかSNSで、被災地に住んでいる人の投稿を見ていると、やはり地震直後に大量に安否確認の連絡が来たそうで、バッテリー残量との兼ね合いで、正直その安否確認の連絡に困ったと言っている人もいました。これらの話の流れで改めて思ったのですが、発災直後で安否確認してよいのは親子・家族・親族レベル(および勤務時間中なら仕事関係の人)と思いました

 冷静に考えたら、離れたところにいる人(上述の関係者以外の人)が大規模災害の発災直後に被災地にいる人に安否確認して何になるというのでしょうか?心配の部分も大きいとは思いますが、何割かは「いま大変なことになっているあの場所に私の知っている人もいる…」といった感情も無くはないのでは?と、自分自身の過去を振り返って考えたりもしました。

 今後、もし大災害が起こったとき、そこまで近しい関係性ではない人に発災直後に安否確認するのは絶対にやめようと思いました。

※安否確認の連絡を否定しているのではなく、タイミングの話です。

***

 それから数日後、しばらく連絡を取っていなかった知人に、私が用事があって連絡すると、彼女は私の義実家が能登ということを覚えていてくれたうえに、「地震直後からずっと心配していたけどこちらから連絡するのもと思って・・・」と、心配だけどあえて連絡を控えていてくれたことがわかりました。最悪のパターンまで想像していたら、安易に「大丈夫だった?」と聞けなかったのも当然かもしれません

 こういう気遣いをしてくれる人もいるのだと知って、少し感動してしまいました。「何も言わない人」が「何も心配していない人」というわけではないのです。自分も学ばなければいけないと思いました。

 過去の大災害でも話題になっていたことなのかもしれないですが、私は当時はそこまでアンテナが張れていなかったのですが、「大丈夫だった?」という声かけは、相手にとって非常に負担となる場合があるということを、今回の地震で学びました。この件は、発災直後に安否確認をするという問題とは別の問題となってくるかと思いますので、また別の機会に投稿してみたいと思いました。

 

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