普通とは 厨房のありす
「普通」という言葉を最近やたら目や耳にする機会が多かった。もしかしたら自分が「普通」という言葉に敏感になっているだけかもしれないが、どうであれわたしの生活において、「普通」という言葉に触れる機会が多かったのは事実だ。
門脇麦さんが主演の『厨房のありす』を観始めた理由は永瀬廉さんが出演するからではあったが、なんだかんだ毎週楽しく(時には突っ込みながら)視聴していた。
特に序盤はさまざまな事情を抱えた人間がいるのだということを、美味しそうな料理でふんわり包みながら伝えていて、ほっこりしていた。
第1話のお誕生日会のシーンで門脇麦さん演じるありすがこんなことを言っていた。
途中からありすが涙声になって一緒に泣きそうになってしまった。門脇麦さんは番宣動画ではサバサバな雰囲気だが、ありすの時は完全にありすで役者さんってすごい。あたりまえすぎて失礼かもしれないが。
話を戻すと、わたしはまた「普通」が出てきたな、と思ったのである。
話の流れとして悪い意味では全くないし、悪意があるわけでもない、ここでの「普通」は「天才」の対義語のような使われ方だった。
でもわたしは思った。
「普通」ってなんなのだろうか、と。
Weblio国語辞典で「普通」を引いてみるとこのように出る。
ごくありふれたもので、あたりまえで、たいてい、一般的に、「そう」であること。
ということは、とある範囲の世界を切り取った時に、その中の大多数が当てはまる事柄だということで、切り取る範囲を変えたら「普通」は変わるのである。
『厨房のありす』においても、大友花恋さん演じる百花は他の場面では「普通」の人なのに、6話のありすのお勝手のシーンでは完全に「異質」だった。
あの空間でなければ百花のありすに対する言葉が「普通」のことも(悲しいけれど)あると思う。ただ、生きづらさを感じたことがあったであろうゲイカップルの栄太と礼央、ASDのありすを近くで見守ってきた親友和紗との4人の空間では百花は完全に「異質」なのだ。
視聴者だってどうしたってありすに肩入れしてしまう。だけど今までの人生を振り返ってみた時、「あのシーンの百花」になったことがあった人もいたはずだ。気づいていないだけで、忘れてしまっただけで、「あのシーンの百花」になっていた可能性もあるのだ。
切り取る範囲も、例えば国で考えれば肌の色も言語も宗教も環境も「普通」は変わるし、人間の「普通」とペンギンの「普通」はあたりまえに違う。
極端な例だけど、「普通」なんて世界の区切り方で変わるような、不確かなものだと思う。
「普通」は結婚している年齢、「普通」に生きてれば恋人の1人や2人はできる、女/男だったら「普通」は〜、これくらいできて「普通」、こんな失敗は「普通」しない。
こんだけ多様性がどうのと言われる時代に、それでも「普通」の呪いはそこかしこに蔓延っている。わたしもきっとその呪いにかかっているし、誰かに気づかずにかけている。
「ノーマの幻想」という話を聞いたことがある。
「ノーマ」というのはアメリカで作られた石像につけられた名前だ。たくさんのアメリカ人女性の身体データをもとに、平均値のプロポーションを持つ全身像として作られたらしい。
その「ノーマ」を探すイベントが開催された。「ノーマ」の持ついくつかの代表的なプロポーションの数値と同じ数値を持つ女性を探して表彰する、というものだったらしい。
結果として、「ノーマ」は見つからなかった、とのことだった。
「平均」と「普通」はそもそも=ではないが、それでも≒で捉えられがちなものだと感じる。この話はあくまでも数値の話だし、概念的な話に抽象化するのは力技な部分もあるのかもしれないが、全ての項目が平均値な人間なんて存在しないのだ、とわたしはこの話を聞いた時に少しほっとしたのだった。
余談だがわたしはこの話を数年前にとあるPodcastで聴いたのだが、最近になって再び文字として巡り会うことになった。その話はまた今度書くつもりでいる。いつになることやら。
最後に、Weblio国語辞典で「普通」を引いた時に面白いものを見つけた。
「厨房のありす」にはさまざまな事情を抱えた人が出てきて、衝突がありながらも少しずつお互いを受け入れていた。「普通」ではないこだわりを抱えるありすも、周囲の人が優しいから自分はなんとかできてしまっている、と負い目を感じている。それでもありすの周りに人が集まるのはありすだからなのだ。「普通」じゃなくたって、ありすはありすで、それに救われてる人がいた。誰にも支えられずに生きている人はいないし、気づかず誰かを支えていることだってある。
わたしは誰かから見たら「普通」じゃないかもしれないけど、かなへさんの言う意味で「普通」を使わないように生きていきたい。
(蛇足)
『厨房のありす』のすきなシーンはたくさん合ったけれど、「普通」に焦点を当てるとなるとわたしの技量ではほとんどを削ぎ落とさなければならなくて悔しいし、本当は放送中に書くつもりだったのに全然間に合ってなくて不甲斐ない。
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