【3分小説】うるさい音


 オレは今、図書館にいる。

 ハチミツのような汗をだらっとかきながら、徒歩四〇分の市役所内にあるところへつき、個別席に腰をかけ、こうして本を読んでいた。

 この本は小説で、ミステリーモノだ。人気作品なのか、同じ本がいくつもある。


「ほう、中盤にさしかかっても犯人が予想つかないぞ」とオレはつぶやく。

 すると、ちかくでうるさい音が鼓膜をとおり、響いていた。


「うおおおおお、この小説おもしれえええええ!」

 小太りの中年が、そう叫ぶ。非常に迷惑だ。注意しなければとオレは立ち上がるも別の人が代わりに注意をする。


「あのー、すみません。ここでは静かにしてもらえませんか?」


 真面目そうな青年がやさしく声をかけるも、中年は切れ気味に、こう返答した。


「はあ! おいどんは真面目に読んでいるだけなのに、なんでこんな生意気なガキに注意されなきゃいけないんだよ!」


 迷惑おっさんは握りこぶしをつくり、ボクサーのように思いっきり殴りかかる。注意した青年は鼻血を出し、逃げるようにこの場所から立ち去った。


(このおっさん怖ええ……、関わらんとこ)


 オレは小心者なので、やばいことには手を出さないことに決めている。それは他のひとも同じ考えだった。


 オレはゆっくりとミステリー小説の世界を楽しんだ。活字の世界はすばらしい。オレの心を揺さぶっていく。この世界を目で味わうことに幸せを感じていた。


 すこし時間がたち、あのおっさんも静かにしていた……、と思ったら、またうるさくする。

「うおおおおおお! この小説もおもしれええええ! 犯人こいつだったのかよ! 最高か!」


 ハァ……、とオレはため息をついた。せっかくこの小説も終盤にさしかかり、犯人がわかる手前だったのに、と嘆く。


「この『アイスクリームと時計チーズの皮算用』おもしれえええええ」


 オレは目を丸くし、驚いた。自分が読んでいる小説だったからだ。

「うそだろ……」とぽつりと声を出す。


 できれば犯人の名前はいうなよ、と心の中でそう願う。しかし小太りおっさんは、みればわかるように異常者だった。


「まさか、犯人は家政婦とみせかけて、主人公と相棒だったとは! しかもラストの戦闘もかっこいいぞ! ダリの名画が勝負の鍵をにぎるとは!」


 最悪だ、本当に最悪。よりにもよってこの迷惑野郎にネタバレを食らうとは……。


「おじさん、ここではおおきなこえ、だしちゃいけないよ」

 突然、現れた小さな男の子がおっさんに対して注意する。とても、危険な行為だ。


「なんだぁ? がきんちょ? おいどんに説教するとはいい度胸だな!」


 男は立ち上がり「ちょっとこっちに来い!」と子供のうでをつかむ。


「うわー! 助けてママー」小さな子は泣きながら、助けを求めた。


 ざっと四歳児のお母さんらしき女性は急いでわが子の方に向かう。


「やめてください! うちの子には手を出さないで!」


 母親は必死にいうも、あの中年は聞いてくれなかった。


「お前の不注意でおいどんの心に傷がついた! どうしてくれるんだ!」


「おねがいします。うちの子を離してください!」


「それしか言えないのかよ。お前は!」小太りは子供のうでをひっぱり、持ち上げる。


「いいか、もし同じことを言ったらこのがきんちょを何発も殴る。骨が曲がるほどにな!」


「な、殴るのだけは勘弁してください! 本当にやめてください!」

 彼女は床に這いつくばるように土下座をする。


「ほーら、またおなじことを言うー。もう怒ったもんねー。ガキをボコボコにします」


 オレはガマンの限界だった。小さな命が失いそうなのに、誰も助けてくれない人々にも、ネタバレを食らわせたおっさんにも、小心者のオレに対しても。すべてが限界だ。


 席から立ち上がり、クズ人間の方へ向かう。そして、目を合わせた。


「なんだ、お前? おいどんとやりあうのか?」


「ああ、目に見えない借りがあるからな」


「見えない借り? 黙れ! おいどんは結果がみえる殴りを食らわせてやる!」


 小太りの中年は、オレに対して殴りかかり、こぶしが顔面に当たる。


 もちろん、背中から倒れ、鼻血も出た。だが、ちいさな命が助かるなら、どんな攻撃も耐えてみせる。子どもを守るのが大人の宿命だからな!


「これが本気か? それにしては弱いな」オレはアイツに対して煽ってみる。


「弱い……。当たり前だろ! おいどんは喧嘩したことないからだ」


「それなのに、やさしい人たちの顔面を傷つけたのか!」


「うるせぇ! おいどんの邪魔をするやつはゆるさん! たとえガキでもな」


 オレの怒りはどんどんたまる。ふつふつと感情のナベがこげそうな勢いだ。


「おい、おっさん。"ルサンチマン"って知ってるか?」


「知らないな。おしえてくれ」小太りの男は小さい子を抱えながらはなす。


「弱者が強者にたいして憎しみをおぼえることだ。そして、オレはお前にムカついている」


「つまり、おいどんは強者ってわけか」


「ああそうだ。だが、強者をボコボコすることによって、弱者を正当化させる」


 中年は「?」とふしぎそうに思ってそうなアホ面をしていた。


 次の瞬間、オレは相手を力いっぱいこぶしを腹めがけて、まっすぐ前に当てる。


「ふがぁ」とおっさんは情けない声をだす。


「オレは正当化することがだいすきだ」


 なんとなく、決め台詞をいってみる。すこし恥ずかしくなってきた。


「ママー」男の子は母親のほうに向かい抱きしめる。


「てっちゃん! よかった無事で」


 とても、すがすがしい気分だ。勝手にネタバレをいった天罰だと胸をなで下ろす。


 子どものお母さんはオレのほうに近づき、

「ありがとうございます。なんてお礼をすればいいか」と感謝のことばを言う。


「お礼なんていいですよ。お子さんを大切にしていただければ、それだけで充分です」


 またカッコつける。顔があつくなりそうだ。


 しばらくすると、殴られた青年が司書を呼び出していた。小太りの中年を連れ出すために。

 オレはひとまず安心した。しかし、意外……といいながら、当たり前の結末。自分も連れ出されてしまう。

 まあしょうがないかなとも感じていた。うるさい音を出したからな。


 いま、オレの心はサイダーのようにはじけそうな喜びに満ちていたから気にしなかった。


 オレはしばらく図書館を出禁にされてしまう。まだ本は読みかけなのに。

 そう考えると、おっさんがネタバレいったことは逆にラッキーだなとポジティブに考えることにした。


 またハチミツのようなだらっとした汗をかきながら、家にこころよく帰る。

 心のなかでうれしい気持ちの音が、いい意味でうるさい音となって響きあう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?