「確定事象対策室出向 霧島由紀」第4話

3…
 白井絵空と初めて会話をしてから、程なくして彼女は保健室に顔を出すようになった。
 あの日、彼女は落とし物を探していたらしい。それは見つからなかったそうだが、気にしている素振りはなかった。本当に大したものではなかったのだろう。
 初回接触が好印象だったのか、性格なのか、彼女はとても人懐こく、一日と置かず保健室で雑談をしに来るようになった。怪我や体調不良以外でも何か悩みがある生徒などは保健室によく来るので、彼女が特別というわけでもないのだろう。改めて調べてみると、養護教諭はカウンセリングのようなこともするようだった。自分のような無資格者に悩みを相談する生徒達の心の成長が不安になったが、これも仕事である。可能な限り真摯に対応するほかないな、と結論付けた。
 その日の放課後も、進路に悩み不眠気味であり、頭痛持ちであるという佐々木という男子生徒の悩みを聞いていた。霧島から言えるのは、希望通りの進路に進めるよう努力し、それでもダメなら警察という受け皿があるから安心してほしいということくらいだ。彼は望んだ答えではなかったのか渋い顔をしていたが、こうした悩みに答えはない。頑張って悩んでほしいと思う。
 佐々木が退室するのと入れ替わりで、エソラがやってきた。彼女が「他にも白井さんはいるからエソラって呼んでください!」と言ってきてからは、霧島もなるべくエソラと呼称するようにしている。
「またお悩み相談? やっぱり先生は人気だね!」
「高校生はどうしても悩みがちですし、相談する相手も限られていますからね。悩みを解決する一助となれば幸いなのですが」
 エソラのために麦茶をコップに注ぎ、ひとくちチョコレートと一緒に渡す。彼女はコーヒーが飲めない。ほかにも保健室に来る生徒のために紅茶やお菓子などが備蓄されている。何かを口に入れることは気持ちをリラックスさせる、と本で読んだ霧島が用意したものだ。
 エソラはお茶に口をつけチョコを頬張ると幸せそうに笑った。
 こうしてエソラと毎日のように話すようになって、霧島はわかったことがいくつかある。
 エソラには友人が少ない。霧島と話していると普通の子であるように思えるが、他の生徒との間には壁を作ってしまっているようだった。その原因はわからない。そもそも、霧島にはなぜエソラが自分にこうも懐いているのかがよくわからない。
 家族関係についてはよくわからない。事前情報はあるが、彼女から家族について語られたことはない。話題としてはかなり踏み込んだものとなるため、仮に探るとしても何かしらの契機が必要だろう。
 学年の中でも目立つ女子グループから疎まれている。話を聞いた限りだと、おそらくは恋愛ごとのいざこざだろう。霧島が高校生だった頃もそういうトラブルはあったように思う。特に人格形成が不十分な学生の頃は好き嫌いといった感情に振り回されるものだ。似たようなトラブルが彼女にもあった。気にせず過ごしていたら気づいたら終わっていたような記憶がある。
 多くのことは時間が解決してくれる。考え過ぎで選択を保留するのは彼女の悪癖だが、それによって霧島は今まで問題なく過ごすことができた。警察での仕事は上の人間が指示をしてくれる場合が多かったため、彼女にとっては平穏な日々だった。何を選ばずとも、生活するだけなら問題はない。
 今回の仕事はそうはいかないと巫女に釘をさされていることを思い出し、霧島は唇を尖らせた。
「……あれ、先生もしかして機嫌悪い? わたし、邪魔だった?」
 霧島の表情の変化にエソラは敏感に反応する。霧島は「いえ、」と前置きをしてエソラを見る。無意識のうちに表情に出てしまっていたのか、と少し反省する。
「少し嫌なことを思い出していました。そうですね、学生時代のことです」
「へえ! 先生はどんな子だったの?」
「どんな子、ですか……」
 きらきら輝く瞳に見つめられ、霧島は唇に手をやり記憶を思い返す。
 中学高校での記憶は曖昧だ。いくつかのエピソードはすぐに思い出せる。だが、それらも印象的なものではなく、話の種になりそうなものはなかった。
 しばらく考え、広がりそうな話については諦めることにした。下手に嘘をついてもその後が苦しいだろう、と結論付ける。
「今とそう変わりないです。真面目に勉強をして、誰かとお話をして、家に帰れば家事をしたりの繰り返しで。たまに本を読んだり映画を見たりしましたが、あまり覚えていないですね……」
 言葉にしてみると彼女自身が思っていたよりも暗い青春であるようだった。高校にいて、様々な生徒の話を聞いていると、自分はそれほど何かを悩んで生きていただろうか、という気持ちになる。
 エソラを見る。エソラは、そんな霧島を見つめてにまにまと笑みを浮かべていた。不思議に思い、霧島は首を傾げる。
「なにかありましたか?」
「えっ! あ、いやー……なんだろ、わたし変な顔してた?」
「いえ、楽しそうでしたよ。つまらない話をしてしまったかと思ったのですが」
「そんなことないよ! 普段聞けない先生の話だったから、うん、楽しかったのかも……」
 自身の頬をむにむにといじりつつ、エソラはそんなことを言う。霧島はその言葉の意図を考える。互いの身の上話を話すことは、心的距離を近づけることがある、と聞いたことがあった。
 親しくなればエソラから自主的に色々なことを相談してくることもあるだろう。今日の会話は効果的だった、と考える。のちほど、報告に乗せる必要があるだろう。
「楽しかったならなによりです。エソラさんはもっと素敵な学校生活を過ごしてほしいな、と思います。そのためには、勉強も頑張らなくちゃいけないですね」
「あー、春休み終わればわたしも三年生だしねー。でも、わたし結構勉強してるんだよ? この間のテストも順位良かったんだから!」
「それはすごいです。その調子ですね。でも、頑張りすぎもいけないです。悩みや疲れがあればいつでも言ってください。力になりますから」
 霧島の言葉に、エソラは満面の笑みを浮かべる。その笑みに、良好な関係性の構築は成功しているな、と霧島は考える。
 進捗は上々。ただし、今のところ、対象に関する異常性は見当たらない。

 何事もなく春休みが終わり、新学年が始まった。
 基本的な事務作業や『保健だより』に代表される資料の作成、入学予定者を含む各生徒の健康調査票の整理等はあったが、前任者の引き継ぎ資料もあり、そう難しいことはなかった。机に座って情報を効率的に整理することは決められた規則に基づく作業であり、彼女にとっては心穏やかに過ごすことのできる時間であった。
 春休み中のエソラの行動監視は霧島の業務外である。春休みだろうと一応は教諭である彼女は学校に出勤しなければならない。ある程度の融通は利くとはいえ、仮に動向監視している際に急に顔を合わせてしまった場合に不信感を抱かれるのは避け得ない。それならば、他の人員を当てたほうがいいだろうという判断だ。
 情報共有をした限りでは、特別な変化はなかったようである。基本的には家でテレビを見たりして過ごし、散歩をしたり、買い物をしたり、遊びに出かけたりといった様子だ。特別遊ぶ友達はなし。SNSではたまに洒落た外食の様子を投稿していた。それも以前と変わらないものだ。
 四月になると新入生が入学する。本来の養護教諭であればここで健康診断の準備などで忙しくなるが、あくまで霧島はエセ保険医である。健康診断は外注となり、彼女がやるべきことは多くなかった。そうした作業で忙殺されていては本来の任務が果たせないため、当然とも言える。
 三月までと変わらず、エソラは昼休みや放課後に保健室へと来ていた。親しくなっているようだ、とは霧島も思う。エソラは主にクラスであったことや、教師の言っていたこと、日常であった些細なことについて話す。
「最近は、結構いろんな子とも話すんだ。前は趣味が合わなかったらやだなー、とか思ってたけど、話してみたら意外といけるなって思って」
 ある日のこと、明るい様子でエソラはそんなことを言っていた。
 変わったことはないかという質問に対する答えだった。明確な変化に霧島は少し驚く。エソラは少々孤立しがちであったようだが、いつの間にかそれも解消してきているらしい。前向きなことはいいことだと思う。霧島も、なんだか心が温かな気分になり、知らず微笑みを浮かべていた。エソラは、そんな霧島を見ると照れたように笑っていた。
 変わらず、エソラの周りのことは一般的な女子高生の枠を出ない。大きな悩みもなく、摩訶不思議な能力を操る様子もない。
 巫女は未来視による災厄の岐路について霧島に語ったが、彼女は現在の状況に半ばそれについても疑問視していた。未来を見たと主張し、その場面に霧島とエソラが登場したと断言するのは巫女一人である。
 世の中には似た人物が複数いると聞く。霧島はわざわざ髪を脱色させられたのだが、元から金髪の彼女に似た人物だっているはずである。この高校ではないどこか別な場所で何か不穏な事態が起こっていて、エソラが災厄の引き金であるというのは全くの誤解なのではないか。
 七月、夏を迎える頃には霧島はそんな風に考えるようになっていた。一応、鞄には変わらず田中から渡された物騒なオカルトグッズを入れてはいたが、警戒心はほとんどなくなっていたと言っていい。幸せそうに日々の生活について話すエソラに成長を感じ、喜びを感じてすらいた。
 一学期も終わりに近づき、夏休みが迫る。夏休み前には学校祭があり、準備のために放課後に残る生徒も増え、学校の雰囲気も浮ついたものになっていく。怪我や急病に関する対応も増えた。幸い、悩み相談の類は減っていたために霧島は忙殺されるというほどではなかったが、本来の任務外である業務に追われることが多くなった。それでもエソラはたびたび保健室に顔を出していたため、彼女の状態把握については問題なかった。
 そんなある日の放課後のことだった。
「白井絵空に良くない空気を感じる」
 オカルト機関の専門家である田中が、その目に剣呑な色を灯して保健室に現れたのは。


【幕間3】
 先生と話すのは、とても楽しい。
 話してみると、先生はきりっとした顔をしているけど結構ぽやぽやとしていて、怒ったりすることはあまりないみたいだった。何かを尋ねると真剣に考えて、きちんと答えてくれる。先生のことについて聞くと、真剣に悩んでくれるのでつい色々と聞いてしまう。その顔がとても綺麗で、素敵だ。
 先生みたいになりたいと思い、最初に始めたのは保健室に来る人を調べることだった。
 先生は保健室の先生なので、色々な人の対応をしている。その中には悩みを相談しに来る人もいる。わたしは他の子から悩みを相談されたことなんてないけど、保健室に来る人なら悩みを持ってるはずだ。
 そういう人たちの悩みを、困りごとを解決していけば、きっとあの綺麗な先生みたいになれる。先生も、仕事が減って喜んでくれるはずだ。
「あのー」
「ん? ……あ、えっと、二組の白井さんだっけ。どうしたの」
 最初に声をかけたのは、進路について悩んでいるという三組の男子だった。佐々木くんだったと思う。濃い隈を目の下に残していてかわいそう。きっと悩みを解決してあげれば喜んでくれるだろう。
 みんな使わない端っこの階段横で、佐々木くんの話を聞いた。最初は訝しげにしていたけど、偶然保健室に来た時に聞こえてしまった、というと嫌そうな顔をしながらも軽く話してくれた。難関大学に合格するため勉強していること。最近、成績が伸び悩んでいること。そもそもその大学に合格したとして、その後どのように生きていくべきかの展望がないこと。そうしたことを考えていると、段々と眠れなくなっていったこと。
 相槌や反応する表情をうまく作れば、話を引き出すのは難しくなかった。最初からそうすると決めていればそう辛くもない。
 佐々木くんの悩みはわかった。わたしにまで相談するほど、とても悩んで苦しんでいて、辛そうだ。ただ、先生のアドバイスでも解決しない問題をわたしが解決できるわけがない。
 だから、ここからはツツの出番だ。
――この人の悩みをどうにかすればいい?
 頭の中に響く声。わたしは頷く。事前に、ツツの能力を使うためには相手に触る必要があると言われていたので、そっと、佐々木くんの手を両手で包んであげる。
 佐々木くんがびっくりした顔をした。それから少しして、ぼんやりした表情になる。ツツがわたしの願いを叶えたのだと思う。
「……なんか変な感じだけど、君に話して気が楽になった、のかな。ありがとう」
 なんでこんなことで悩んでいたのかな、と佐々木くんは小さく笑う。その後はなんだか安らかな顔で、佐々木くんはお礼を言って帰っていった。
「……へへ」
 お礼を言われたのは久しぶりだ。嬉しくなってしまう。
 胸のあたりでツツが震える。きっと喜んでくれている。こうして人から感謝されるようになっていければ、きっと先生みたいに素敵な人になれる。
 そう思うと、世界が明るくなっていくように思えた。

 それから少しして春休みになった。
 春休みの間は退屈だった。先生と会うこともないし、ツツの力で人助けをすることも難しい。お父さんお母さんはまだまだ帰ってこない。次に帰ってくる予定はいつだったか思い出せなかった。まあいいか、と思う。どうせ帰ってきても、染めた髪のこととか成績のこととか、そんなどうでもいいことで怒られるだけだ。
 なくしてしまったお守りのことを思う。それも、別にいい。今は先生と、ツツがいる。それだけあれば大丈夫だと思えた。
 新学期が始まってからも、充実した毎日だった。学校生活は楽しくないけど、先生とお話をして、保健室に来るような人の悩みを解決して過ごした。先生が忙しそうな時は、少しでも負担を軽くするために、頑張ってみんなに話しかけて回った。
 最初は相手を触って少し待たなくちゃいけなかったツツの力も、触ってすぐに効果が出るようになった。悩んでいたみんなは、悩みがなくなって安心した顔をしていた。人の役に立っている、と思うと、こんなわたしでも生きていていいんだなあ、という気分になって、嬉しくなる。
 最近は、人づてで聞いたのか、わたしから会いに行かなくても、向こうからわたしに話しかけてくることも多くなった。みんな色々な悩みを持っているみたいだった。勉強のこと、家族のこと、将来のこと、友達のこと。
 一番びっくりしたのは、隣のクラスで、野球部のレギュラーの鈴木くんのことだった。
「いや、なんかずっと野球してて、これからもやっていきたいって思ってたんだけどさ。……どうせプロになれるわけじゃねえし、大学に行ったとしても、卒業したらどうすんのかなって思うとさ」
 彼は学校でも有名人で、スカウトの人も見に来ているという噂だった。そんな人でも将来について悩むんだと思うと、やっぱりみんな大変なんだなあって思う。
 鈴木くんも悩みを解決してあげると、感謝して帰っていった。ツツが震えるから、わたしもツツにありがとう、と言っておく。
 学校祭が近くなる頃には、もう三十人くらいは悩みを解決したと思う。頑張ったなあ、と自分でも思う。お悩み相談じゃなく、話す人も増えてきた。なんだか全部が順調に進んでいるような気がする。何がきっかけだろうと思えば、やっぱり先生だ。先生に会えたから、わたしも頑張ることができている。
 放課後、学校祭でやる喫茶店の準備や打ち合わせで、クラスのみんなで残っている時、ふと先生に会いたくなった。お礼を言おう、と思う。嘘のない、綺麗で素敵な先生。わたしみたいな子相手でもきちんと話してくれる先生。先生と会えて、話すことができたから、わたしは楽しく過ごすことができている。生きていれば色々なことがあるなあと改めて思う。悪いことは多かったけど、こうやっていいこともあるんだ。
 わたしが立ち上がって、ちょっと外に出てくると言うと、それにあわせて一人の子が同じように教室を出るのがわかった。
 三島さんだった。
「……ごめん、ちょっと話せる?」
 思わずびくりとするわたしに、三島さんはしおらしくそんなことを言う。その表情で、わたしは話の内容を察する。
 これは、きっとお悩み相談だ。

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