「確定事象対策室出向 霧島由紀」第7話

6…
 私立華吹高校を襲った大規模な災厄は、その後の機関の調査で邪神のものであることが判明した。
 田中が報告していたように、敵対する相手の機能を奪う土地神の一種が、再顕現を求めて白井絵空を依代にしたというのが事の顛末であるようだった。数十人規模で願いを叶えて存在力を高め、一息に学校周辺を領域化した。聖騎士にも叙される田中が、まともな準備もなかったとはいえ、手も足も出なかったことからその力の規模は災厄と呼ぶに相応しい。未来視がなければ、あの場に万全のサポートをしたうえで霧島を送り込んでいなければどうなっていたか。おそらく、世界規模の争乱となっていたことは想像に難くない。
 幸い、聖女の血液の浄化能力を以て、土地の浄化は完了した。奪われた感情も大きく損なわれることなく、それぞれのもとへ戻った。多少のけが人は出たが、それも本来発生するはずの被害と比べれば誤差のようなものである。知性を奪われていた副作用で、事件自体を誰も記憶していなかったため、祭りの場における集団ヒステリーとしてあっけなく処理することができた。後処理も含めて万々歳である。
 ……以上が、病床で治療を受けながら、霧島が巫女から受けた説明であった。
「……なんだか、私の受けた被害が、無視されているような気がします」
「それも含めて『誤差』だと言っていますね。本来であれば世界が滅んでもおかしくない規模ですから。おめでとうございます、霧島さん。あなたは世界を救ったんですよ」
 事後処理の一環として、霧島はあの事件の後、機関の管理する病院へと運び込まれた。
 教室でそれなりの出血をして気絶していた霧島は、そのまま放っておかれれば死んでいてもおかしくなかった。それを運んだのは、自身も重傷であった田中と、連絡を受けて駆けつけた機関の監視員だ。
 脚の怪我は大したことがなかったが、肋骨は二本折れていた。首は頸動脈切断寸前であり、右手は銃弾と不可思議な力で貫かれており、穴が概ね塞がった今も未だに指がまともに動かない。腱がちぎれたわけではないので、いずれ動くようになるとは聞いているが、果たしてどうだろう、と彼女は思っている。
 エソラは、あの邪神の影響で、まだ色々と機関の施設での検査があるようだ。銃弾は、霧島が想定したとおり、胸の表層に留まったが、その衝撃で倒れて両肩を脱臼したようだ。怪我といえばそれくらいで、現在はそれなりに健康に過ごしているらしい。
 半年超の潜入調査、そして最後の決戦。それによって、彼女に下された特命は完了した。怪我の治療も含め、最初に提示された一年間はその後の経過を見るためとして、多くの時間を機関の施設で過ごすことになるが、それが終わればまた警察官としての生活が始まる。
 霧島は、長い金色の髪を、無事な右手で弄ぶ。
 警察に戻れば色は黒に戻し、おそらくは印象を変えるために短髪にし、伊達眼鏡でもかけて……そして、二度とこの街に来ることはない。
 それは、エソラにも二度と会うことがない、ということと同義であった。
「それでですね……本日は、霧島さんに、提案があります」
「はい?」
 霧島は上体を起こして巫女を見つめる。部屋の隅にはあの、『見えざる手』の右原が隙のない立ち姿で彼女を見据えている。霧島はそちらにちらと視線を送るも、右原は何も言わずに首を横にふるだけだった。どういう意味かはわからなかったが、その表情からは諦めを感じた。
「……一応、聞きましょう」
「はい! それでは説明しますね。霧島さんは今回、世界を救うほどの活躍を見せました。このまま警察に身柄を戻す場合、異能による記憶処理を行う必要があります。これは確実性が今ひとつでして……きっかけがあれば思い出してしまう可能性があります。万全を期すならば霧島さんを殺すのがいいのですが、世界を救った英雄にそんなひどいことはしたくない。――そこで!」
 ぱん、と手を叩いて、巫女は彼女の目を覗き込む。
 そして、両手を差し出して、にっこりと笑った。
「霧島さん。あなた、わたしたちの機関に鞍替えしませんか?」
「……はい?」
 想定外の申し出に、霧島は固まってしまう。
 鞍替え。つまり、異能対策課の職員になるということ。現在は内閣情報調査室への出向扱いとなっている。それを、そのままそちらへの就職扱いとするということだろうか。
 霧島は、思わず首を横にふる。顔は、半笑いに鳴ってしまっていた。
「いや……いやいやいや。私、一般人ですよ? 異能なんてなにもない、専門的知識もない一般人。今回も運の良さとサポートのお陰で生き残っただけの一般人。それが、オカルト機関に行くだなんて、そんな……」
「機関も常にオカルトに接しているわけでもないですよ。調査業務もあります、霧島さんが扱えるような道具もあります。給料も元の職場の数倍は出ますよ。それに、今回の経験はおそらく霧島産の霊的能力を刺激するものであったと思います。聖女の血液も一部、あなたの体に溶け込んでいるのを確認済みです。今後、あなたが異能に目覚める可能性もないわけではない」
「えー……いやー、それはどうでしょう……」
 聖女の血液の件については初耳だったが、それでも機関でこんな訳の分からない事件に巻き込まれるくらいなら、警察に戻って地道な仕事をしていたほうがマシな気はした。一手間違えれば死ぬような世界である。とてもじゃないが、そんな給料が良いとか異能に目覚めるかもだとか理由だけで移籍を決断することはできない。
 霧島が愛想笑いを浮かべていると、巫女は、ふーむ、と唇に指を当て、可愛らしく視線を泳がせる。
「でも、エソラさんはこの条件でオッケーしてくれたんですけどねえ」
「――えっ」
 それと同時に、病室の扉が乱暴に開け放たれた。
 右原がそちらを鋭く睨みつける。その視線に扉を開けた人物は「ひえっ」と情けない声を上げ、部屋の中に入ると扉を静かに閉めた。
 緑を貴重としたセーラー服に、黒色のバッグ。黒色ツインテールに、桃色のインナーカラー。そばかすが印象的な、瞳の大きい、可愛らしい顔。
 白井絵空が、そこにいた。
「先生!」
 エソラは霧島のベッドにダイブする。コルセットを巻いた肋骨にモロに響き、霧島は声にならない叫びを上げる。怪我をしていたことに気づいたエソラは、はっとした顔で立ち上がろうとして、しかし霧島を見上げるようにして、そっとその体に腕を回した。
「……わたし、先生が死んじゃったと思って……でも生きてるって、この人たちが言ってて。嬉しかった。謝りたかった。もう会えないかと思って、何回も、何回も泣いちゃって……」
 ぐすぐすとエソラは霧島の胸に顔を埋めて鼻をすする。霧島はなんて声をかけていいかわからず、その小さな頭を撫でる。
「……もう聞いてると思いますし、あの時にも言いましたけど、私は本当は先生じゃないんですよ。警察官で……仕事であなたと会っていて――」
「――でも! これからは一緒にいれるんだもんね! わたし、この人たちにスカウトされたの。よくわかんないけど、ツツ――邪神だっけ、その影響で、なんか不思議な能力が使えるようになりそうなんだって! 先生も一緒に来るでしょ? ね、だって約束したもんね!」
「約束って……」
「一緒に遊びに行って、買い物とかする約束! このまま離れたら、もう会えないって聞いたよ。先生は約束、破らないよね?」
 じいっと涙の残る上目遣いで見つめられる。そうやって見つめられると弱いな、と彼女は思う。エソラには幸せに過ごしてもらいたい、と霧島は思っている。
 少しだけ、二つの選択肢について考えてみる。
 警察に戻った場合。記憶操作がどのようなものかはわからないが、とりあえず平穏に暮らすことはできるだろう。様々な事件はつきまとうだろうが、オカルト的な事件に巻き込まれる可能性は低い。代わりに、おそらくはこれからも心を許せる友人はなく、ただ日々を消化するように過ごしていく人生が待っている。
 機関に所属する場合。調査業務がどうとは言っていたが、何かあれば危険な事件に対応させられるだろう。それも、神やら悪魔やら悪霊やら異能やらが関わるオカルト事件である可能性が高い。命の危険性は常に付きまとう。代わりに、気の置けない年下の友人と、食えない上司と付き合い続ける人生が待っている。
 霧島は少しだけ腕組みをして考える。選択だ、という言葉を思い出す。今の彼女は、迷うことはあっても、後悔のない選択をすることができるはずだ。
「……条件があります」
「なんでしょう、霧島さん。ある程度の交換条件なら我々も考慮しますが」
「いえ、巫女さんに対する条件じゃありません。……これは、エソラに対する条件」
 エソラはきょとんとした顔で霧島を見ていた。
 霧島は、そんな彼女に、出来得る限りの……作った表情じゃない、満面の笑みを見せた。
「私の名前は霧島由紀。……これからは、由紀って呼んで」

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