恋人への試し行動

 試し行動、という言葉がある。相手が不快または不愉快になりうるような行動をわざとして、相手を試す行動を指す言葉だ。よく例に上がるのが「デートで恋人を安いファミリーレストランに連れていき反応を見る」という行為で、ツイッターでこの行為はしばしば大きな批判を受ける。しかし私はこの"試し行動"は褒められた行為ではないが、一方世間一般で言われているほど悪い行為でもないと考えている。なぜなら自分の恋人を試し評価する行為はかなりありふれているからだ。デートを段取りよくリードできるか、スマートに奢れるか、車道側を歩くか、ファッションはどうか、コミュニケーション能力はどうか、など相手を評価しうるシチュエーションはありふれている。もちろんこれらの評価は一般に言われる試し行動による評価とは違って、相手を試すためだけに行われるものではないし、相手を不快にするような行為をわざと行っているわけでもない。ただ自分の好みに沿って相手を評価する、という何の問題もない行為であることも多いだろう。
 しかし「このシチュエーションではこの行動をするのが"正しい"」という認識が社会で共有されている場合、そのシチュエーションは自らの好みに沿っているかどうかではなく世間の常識を持っているかどうかで相手を評価する性質をもちうるのだ。この評価は無意識に社会に蔓延する偏見や差別を反映してしまう可能性があるという点においては、比較的個人の好みを反映した形で行われやすい試し行動による評価よりもむしろたちが悪いといえるかもしれない。私はこのような世間一般で認められた試す行為はあまり問題視されない一方、認められていない試し行動が猛烈な批判を受ける、というのは健全な状態ではないと考えている。
 最近"正しくない"箸の持ち方をしている写真をツイッターに上げた人が多くの人に叩かれるという出来事があった。一方ビジネス、食事など様々な場面におけるマナーを教える、いわゆるマナー講師がマイナーなマナーを紹介し、変なマナーを作るなと多くの人に叩かれるということもあった。私にはこの二つの出来事が、社会に暗黙のうちに認められた試し行動への世間の反応と、社会に認められていない試し行動への世間の反応の大きな違いを表しているように思われる。我々は"常識"に基づく試し行為に対してもっと批判的な目を向け、それが本当に相手を評価するのに適切なものであるのか疑ってみてもよいのではないだろうか。


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