なぜ自分はnoteを書くのか

最近、文章を考えたくなることが多い。「表現をする練習をしたい」「人にうまく伝えらるようになりたい」という気持ちがあふれてくる感じ。
ただ、夜の落ち着いたころに考えたくなることが多すぎて睡眠リズムが崩れ始めてるから気を付けなくてはいけないのだけど…

そんな、noteを書いていたら夜の眠気も吹き飛ぶような状態だったとき、自分は「noteを書きたい、また人に何かを伝えたい」という気持ちが意外と強いのだと気づいた。またその気づきをきっかけに、どうしてnoteを書きたいのかを整理したくなった。

知識のコモン化

自分は、昨年からとてもお世話になっているのりさんという方がいる。
のりさんは、人や物事の状況を的確にとらえるのがうまく、かつ聞かれたことは何一つ出し惜しみせず教えてくれる方。だからこそ自分はのりさんと会うたびに必ず気づきを与えてもらっているし、何かが足枷になっているときに話すとそれが外れ、取り組みたいことへかけられるエネルギーが増えるような経験を何度もしてきた。

そんなのりさんがおっしゃっていたのは、「『知識のコモン化』って大切だよね。」といいうこと。コモンとは、ここでは「誰でも使える共有財産」というような意味合いで使われている。「(社会の発展を考えるならば)知識は共有されてなんぼだよね、減るもんでもないし。そして特許という仕組みはコモン化に反しているよね」というような内容のことをおっしゃっていた。

自分も努力して作られたものは著作権があるべきだと思っていたけど、お金を払わないと「素敵な情報や技術を利用できない状態」=「知識を資本(収入に繋がるもの)として独占している状態」は社会の発展のために良いことなのだろうか?という疑問を持った。

また、絶対に負けたくないライバル同士(人でも競合相手でも)であれば情報を共有し合うことは少ないだろうなと想像できると思う。今の世界は競争があるからこそ、有益な情報が広まりづらい可能性も考えられる。

素敵な世界

自分はよく本やブログなどから情報を得ることがあるし、今までに出会ったたくさんの人生の先輩たちから得た学びに助けられていると思う。
自分の価値観的には、そういう欲しいと思った情報が共有されている世界ってとても素敵だと思う。必要としている人に必要な情報が行き渡る世界ってとても生きやすいと思う。だから自分も、得た学びを周囲に共有したいし、良い影響を自然と波及できるようになりたいのだと思う。

一方で、自分は要点をまとめて人に伝えるのが苦手だと感じることが多い。そして、自分が得た気付きを、その熱量のまま周囲に説明しても、伝わらないのだと痛感してきた。周囲に気づきを共有しても、表情に変化がなかったり、疑問が浮かんでいそうな顔をしていたり、間違って受けたられていたり。そんなことが昨日もあった。
恐らく自分が人に何かを伝えるのには欠けているものがあるのだろうし、今のままでは人にいい影響を与えられる可能性は少ないのだろうなと思う。

noteを書く理由

今の自分は、周囲の人間に恵まれているなとつくづく感じる。そしてそんな中で何か学びをつかんだときに共有できないのはもったいないし不甲斐ない。そして何より共有できたら素敵だと思う。
また自分がアドバイスを受けたときと似た様な悩みや突っかかりを抱えて生きている人、または自分が得た学びが前に進むための気付きになる人もいるかもしれない。そんな場面にいつ出くわしたとしても、少しでもわかりやすく、そしてエネルギーのままに伝えられるようになっていきたい。
そして学びを必要としている人に届けていけたらいいな、将来的に届けられる人になりたいなと思うのがnoteを書いている理由なのだろう。

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