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落ちて、落ちて、また落ちて 演劇未経験・小脳梗塞発症・中年男の戯曲講座挑戦記 その10

落ちて、落ちて、また落ちて 演劇未経験・小脳梗塞発症・中年男の戯曲講座挑戦記 その10

【この物語は、演劇未経験の中年男が、2015〜2018年に長崎ブリックホール・大ホール(2000席)で上演された市民ミュージカル『赤い花の記憶 天主堂物語』脚本を書くまでの実話である。】

『赤い花の記憶 天主堂物語』誕生

ミュージカル『OMURAグラフィティー』の公演が終わってから『光る海ハイライト公演』の構成台本を書くことになった。これは戯曲講座講師で演出家の先生から「誰か書く人いない?」と問われて、「はい、書きます!」と私から手を挙げたものだった。

その頃の私は、倒れる以前同様とまではいかないものの、すっかり健康を取り戻していた。時々めまいが起きる程度で、頭痛や吐き気は少なくなり、乗り物酔いや閉所恐怖症も改善された。仕事も順調にこなした。

すでに上演されていた天正遣欧使節の四少年の物語である、ミュージカル『光る海』のハイライトシーンを繋げていく、というのが『光る海ハイライト公演』の構成台本の内容だった。そこで、ストーリーテラーの男女二人登場させ、長崎を出航しローマで教皇に謁見を果たす四人の壮大な物語を紹介しつつ、間にハイライトシーンを挿入した。この作品は2012(平成24年)年3月にさくらホールで、OMURA室内合奏団の生演奏も入り、上演された。

2013年(平成25年)5月、市民ミュージカルの次回作が「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の世界遺産登録支援ミュージカルと決まり、戯曲講座で勉強会と原案募集が始まった。この話を聞いたとき、ガイドブック『旅する長崎学』(長崎県企画・長崎文献社発行)でキリシタンシリーズを担当していたので、この作品だけは自分が書きたいと強く思った。

そこで私が考えた原案は、ガイドブック取材の経験を生かし、「信徒発見」の地でもある旧大浦天主堂の建設経緯の物語だった。主な登場人物はフランス人神父のプチジャン(建設を進めた人物)と日本人大工棟梁の小山秀之進(建設工事を請け負った人物)。二人の生身の人間としての対立や葛藤を描こうと思った。

その後、何回か戯曲講座があり、3か月後に私の原案を中心に進めることに決まった。脚本も担当することになった。

この作品も当然ながら生みの苦しみを味わった。旧大浦天主堂の建設過程が物語の中心で、間にザビエルのキリスト教日本初布教から、繁栄、迫害・弾圧、禁教、潜伏、信仰の復活までのエピソードシーンを挿入していく。大きな流れはそんな感じだった。だが約340年にわたるストーリーがあまりにも壮大過ぎて、歴史的な知識が必要でもあり、脚本にはかなり苦戦した。

なかなか脚本は進まず、ようやく書いた初稿は演出の先生から真っ赤に手直しされて返ってきた。これはショックで、落ち込み、途方に暮れた。ほぼ全編書き直しなのだ。とても一人では無理と歌の歌詞の幾つかは戯曲講座のメンバーに依頼することにした。

第2稿を書き進めた約1か月間は、小脳梗塞の後遺症ではないが、体調的にも異変があった。口内炎ができ、胃痛が続いた。満身創痍だ。そうこうする内に事務局から連絡が入り、大村公演と南島原公演と(熊本県)天草公演が決まり、新たなプレッシャーとなった。

タイトルは事務局と相談して市民ミュージカル『赤い花の記憶 天主堂物語』とした。赤い花とは長崎県花でキリシタンのシンボル的な花である椿のことだ。どうにかこうにか第2稿を書き終えて、細かい指摘はあったものの、大まかな流れは決まった。その後、第5稿まで書き続け、ようやく完成稿となった。書き始めて8か月後の2014年(平成26年)春のことだ。苦労の末に完成した「私の宝物」といった気分だった。

チラシ
大村初演

『赤い花の記憶 天主堂物語』の初演は、2014年(平成26年)8月のシーハットおおむら・さくらホールで上演された。その後、南島原公演、天草公演と続いて、企画は年内で終了することになっていた。ところが、長崎市のバス会社の社長さんが大村公演を観劇し、「これはぜひ長崎市でも上演したい」と後押ししてくださることになり、翌年の長崎ブリックホール・大ホールでの再演が決まった。作品自体に運があったのだろう。

南島原公演
天草公演

それから2016年、2018年と再演された。2018年の再演は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産登録が決まった年の嬉しい記念公演となった。気がつけば、大村市、諫早市、東彼杵町、南島原市、島原市、天草市、長崎市、時津町、佐世保市の市民が参加してくださり、『赤い花の記憶 天主堂物語』は大村、南島原、天草、長崎公演の4会場で、観客動員1万人を記録していた。

長崎公演
記念に発行した号外

小脳梗塞発症を発症したことがきっかけで、演劇未経験の中年男がシーハットおおむらの戯曲講座に通い始め、舞台脚本の落選を繰り返し、それでも諦めなかった戯曲講座挑戦記。これにてお開き。(おわり)








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