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笠原征夫の【一問一答】 死生観 何のために生きているのか?

代表の笠原が読者や社員からの悩み相談に答えていくコラムです。

仕事・プライベートにかかわらず社員のみなさんの悩みが少しでも解消され、みなさんのより良い人生と更なる成長につながることを願って定期的に綴っていきます。それではいただいたご相談に答えていきます。

【質問】
「誰しも必ずいつか死ぬ。何のために生きているのか?」生と死、生死観についてお尋ねしたい。
人はなぜ生まれ、死ねばどこにいくのか。

【答え】
これに対して一つの答えはないと思います。
人により答えが異なるかもしれません。

この質問は、ある意味では、その人の天命とは何か、ということかもしれません。天命を知って、それを成し遂げるのが、その人にとっての自分の人生の意味であり、
天命とは、何か僅かであっても自分なりに、他者・社会等に対して貢献出来ることを見つけ、社会の一角を良くして、それが、自分の死後も、僅かであっても、次世代に波のように波及していくことかもしれません。

人と人を含めた、万物は繋がっていますから、自分が生きても死んでしまったら、自分が生きたことが、全て失われるのではなく、自分が生きることで影響を与えた人達や出来事があれば、それが自分の死後も生きる人たちや生じる出来事を通して、継承されていくと思います。

宗教では、死後の来世、生まれ変わり、輪廻転生を説くものがありますが、広い意味では、自分の次世代は自分の来世、自分の前世代は自分の過去世とも考えられると思いますがどうでしょうか。

さて、天命に関しては、孔子の有名な言葉があります。三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。最初から分かることがない天命を知ることも、人生の課題の一つとなります。

なお、話を元に戻して、別の答えをするならば、生きている間に得る財産・地位・名誉というものは、死ぬときには、手放さなければなりません。

つまり、その意味では、自分の物ではなく、自分が、他者万物から、天から、預かって、まもなく(天寿を全う次第)お返しをする物とも考えることができます。

また、そもそも、思い通りには得ることができないのが人生ですし、せっかく得たのに失う悲劇も非常に多く、更には、皆が得たいために争いになり、不快なことも頻繁に起こります。更に、老いれば、若い時の健康・体力・エネルギーを失い、友人知人や配偶者は鬼籍に入り、子供は独立して自分のもとを遠く去り、近年は、長寿化もあって、介護が必要な長い晩年のため、長年の住処を手放して老人ホームに行く人も多い。

こうした視点から見て、人生全体にわたって意味を持つものは何かと考えると、一言で言えば、精神的な成長、人としての心の成熟ではないかと思います。老いてますます充実するような生き方、理想としては、若者を智恵で導く老熟の翁というイメージでしょうか。

応援しています。
素晴らしい一日をお過ごしください。

笠原

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