閉鎖病棟まで行ったシングルマザーのお話。

これは、事実である。

2023年只今2月15日。
愛しい我が子は、既に壊れた関係の元パートナーの母親が預かってみてくれている。
場所は、私の今いる中部地方から遠く離れた大阪の小さな市である。

こんなはずじゃなかった。
もっとちゃんと母親したかった。
私は双極性障害なの?鬱病なの?
何故なったの。
繰り返す自分に嫌気がさす。
身寄りのない子育ては、当たり前に大変である。
精神を病んでも最低限やらないといけないことがある。

今私は人生で初めて
たくさんの後悔とたくさんの自責を
背負いながら、この病と
向き合うしかなくなったのだ。

騙し騙しに、実は
睡眠薬を処方以上に使ってきた。
気づいたら
睡眠薬のために生きていた。

寝てる時だけが楽。
と、5年間母子医療費が安いため
何件も、心療内科に通ったり、内科に通ったりした。20件かしら。

誰もがびっくりの薬物依存にもなっていたのだ。

そういえば。
冒頭でこんな話をしているが、
精神科を私はあまり信じれないのである。

金儲けとかまでは思ってないが、
目に見えない病で、わからないからだ。
わからないから臨床していくんだろう。

2月15日.
私はこないだまで入院していた。
そして、退院したばかりで、薬が合わず、また病院にきている。
退院時に睡眠で出された薬。
サイレース、デェビゴ、レボトミン25mg

レボトミンってなんぞや!
なんなんこれ。怖いな。
と、体調不良ながらに、ググった。
案の定、突然死や、悲惨な副作用が。
これ、飲んで大丈夫かよ…
でも、試して翌日言えばいいかと

半ば諦めで2月13日
そう、退院した日に飲んだのである。

電気代高騰で、夜風の強い日だった。
30年前に亡くなった父の建てたオール電化は
ほぼ、色々壊れている。
そんなものだ。しかし、リフォームするお金なんてない。真っ暗闇でそんなことを
考えながら、
薬を服薬した。

…死ぬかもしれない。

動けずに小便をもらした。
深夜のことだった。
気づいたら発作が起きていた。
苦しくて119番したくても、携帯を動かす力もない、麻痺している。
目の前の世界。
身体が、全て、停止しているのだ。

今こうやって書いているということは
生きたということだ。

しかし、2月14日の15時まで
私は意識がなかった。
寝た!という気分にならず、不安感と何もできないというのは変わらなかった。


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