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026.昭和ビル(旧カスタム・ブローカービル)

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物020/みなと地区≫
*神奈川県庁舎の裏、海岸通りに面して建つ昭和ビル。いまはなくなってしまいましたが、隣に双子のキッコーマンビルがあり、1階がつながっていました。右端にビル間の通路があった名残が少し残っています。
 
 日本大通を横浜公園から海岸のほうに歩いてきて、県庁舎の裏、海岸通りとの交差点を左折して、象の華パークに行く入り口の左に立つのが昭和ビル。その右に「東西上屋倉庫」がありましたが、それが解体されて、ぽっかりスペースが開きました。おかげで象の鼻への入り口が広くなりました。少しおいて右に海洋会館ビルと、横浜貿易ビルと、兄弟のようなスクラッチタイル貼りの4連ビルがある種の景観となっていたことを知る人も少ないかもしれません。
 このビルは、もともとは隣のビルと一緒に昭和6(1931)年に建てられたビルで、鉄筋コンクリート3階建て。この昭和ビルと隣にあった大倉商事のビル(その後キッコーマンの横浜支店が入居しキッコーマンビルと呼ばれた)は、まったく同じデザインの双子ビルで、この2つのビルは渡り廊下でつながっていました。
 そして、この昭和ビル、キッコーマンビルの2つのビルを称して、かつてはカスタム・ブローカービルと呼んでいました。これでも分かるように、作られた当時は、カスタム・ブローカー(通関業者)が集まる雑居ビルとして一体に考えられていたものだったのです。
 キッコーマンビルは2000年に、裏にあった東西上屋倉庫とともに解体されてしまい、いまは空き地が象の鼻パークの入り口として使われています。双子だったのがいまは片方だけしか残されていない状態で寂しそうです。

裏の東西上屋倉庫が解体され、象の鼻パークへのアクセス道ができ、
入り口が広くなったことがよくわかります。

 ■施主の思いが伝わる4連の姉妹ビル
 大さん橋の交差点の横浜貿易協会ビルから、海洋会館、キッコーマンビルと4連のビルは、同じデザインで統一され、海岸通りのワンセットとして建設されたと考えられます。これが可能だったのは施主が同じだったためです。
 海岸通りという目立つロケーションにあるということも、こうした共通の意匠を持ってスクラッチタイルの特徴的な建物群を作るという動機になったのでしょう。そう決断した大倉商事さんに拍手を送りたい。

ビルの階段室。両側の壁にはタイルが張られ、小さいけれど質の高いビルだったことが
感じられます。 生糸を扱う貿易マンたちが忙しく行きかう往時をしのばせますね。

 とはいえ、何年か経つと、地域や街のあり方も機能も変わり、ビルの所有者も変わって、そうした哲学が崩れて、無計画な状態に戻ってしまいます。パリ、ローマ、ロンドン・・・の街並みが、長年変わらずに、同じ位置に同じ建物がみられることを考えると、木造で、数十年ごとにスクラップ&ビルドが繰り返される私たちの街並みの保護の難しさを思わずにいられません。
 昭和ビルは、現在も通関業者だけではなく、オフィス複合ビルとして活用されています。ロケーションがいいためか、なかなか空かないとも聞きます。
 モチーフが川崎鉄三の意匠で共通した、タイル外装の3つのビル、近くにあるエキスプレスビル(019)と対比してみてみるのも面白いでしょう。
 残された3つのスクラッチタイルのビル、このまま何とか残していきたいものだ。
●所在地:横浜市中区海岸通1-1




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