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030.THE BAYSザ・ベイス(旧日本綿花横浜支店倉庫)

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物026/日本大通り≫
 *横浜公園(手前)の日本大通りに出る正面に見えるビル。左が事務所棟、一段屋根の位置の低い右が倉庫棟です。
 
 日本大通りの終点、横浜公園前にある小さめのしゃれたビルで、このビルも、2棟が同じモチーフで並んで立っています。日本大通りに面した角にあるのが事務所棟、その隣、中区役所との間にあるのが倉庫棟です。
 日本大通り、横浜公園前という利便性から、所有者がたびたび変わり、そのたびに呼び名も変わって、その意味では数奇な運命をたどってきたビルでもあります。
 昭和3(1928)年に建てられた鉄筋コンクリート造りの地上4階、地下1階。設計は、もともと持ち主が大阪の商社なので大阪の渡辺建築事務所に依頼している。
 日本綿花㈱は明治25(1892)年に、名前の通り綿花を輸入する目的で創業した会社でした。大正9(1920)年に横浜に進出し、山下町に支店を出しました。
 その後、関東大震災で被災し、横浜公園の前にこのビルを建てて移転、昭和18(1944)年に日綿実業㈱、昭和57(1982)年に㈱ニチメンと社名を変更、平成16(2004)年に日商岩井㈱と合併し、双日㈱となっています。

日本大通りに面した面の真ん中に玄関があります。巻貝を模した付け柱やアカンサスの模様など装飾がみられます。

■米軍の接収を経て数奇な変遷
 この建物は戦後は米軍に接収され、兵站司令部として使われました。接収が解除になったのは昭和27(1932)年で、昭和29(1954)年からは国の所有になり、昭和35(1960)年から大蔵省関東財務局横浜財務部、同59(1984)年からは同省横浜財務事務所として使われてきました。
 その後、平成18(2006)年からは横浜市の施設「ZAIM」として、アーチストたちへの貸しスペースとして使われてきたのですが、その後、改装などを経て、現在は横浜DeNAベイスターズが運営する「スポーツ×クリエイティブをコンセプトとした『THE BAYS』複合ビルとして店舗やオフィスに貸し出されています。

2棟の間に屋根を付けて、いまはイベントなどが行えるスペースとして使われています。

一方、隣の倉庫は、接収解除後、昭和39(1964年)からは神奈川県労働基準局の庁舎として使われ、平成15(2003)年に横浜市が取得、平成26(2014)年には当初のデザインを生かして改修を行い、現在は中区の区民センターとして用いられています。どちらも横浜市の歴史的建造物に指定されています。
 横浜市内の建物は、戦後の米軍による接収という洗礼を経て、数奇な変遷を余儀なくされています。接収されていなければ、果たして建物そのものが残されてきたか、と問われれば判断は難しいところです。高度成長期に解体されていたのではないかという意見もあり、日本人として考えさせられるところです。
 2棟は、同じスクラッチタイルで作られていますが、事務所棟の方は入り口に階段があり、外壁でみても分かるように腰壁がある分だけ高くなっており、屋上の位置を見ても事務所棟が高いことがわかります。

外壁のスクラッチタイル。実は陶器のタイルではなく
静岡産の安山岩を加工したもので、手が込んでいます。

  腰壁の石は静岡産の安山岩を江戸積のように切込んでタイルとして張り付けられています。
 玄関周りと建物最上部のコーニスに装飾が施されていて、玄関周りは石材で、巻貝柱を模した付け柱に、アカンサスの模様があります。この上、2階の窓の前にバルコニーを模した手すりの装飾があったようですが、これらは、いまはなくなっています。最上部に使われたテラコッタが特徴的です。
 窓は縦長で規則正しく並べられており、もともとは上下のスライド式、改修でサッシに入れ替えられてしまいました。

外壁最上部にあるコーニスのクラシックなテラコッタ(陶器)の装飾がいい感じです。

2棟の間は、5メートルほどの間隔があり、隅に事務所棟と倉庫の間をつなぐ通路のような部分がありましたが、それもこの間に取り外されている。現在は、このビルの間に屋根を整備し、テーブル等を置いて、イベントや飲食などができるようなスペースとして活用されています。
 横浜公園の前、日本大通りへの入り口に立つこのビルは、昭和初期の商社のオフィスと倉庫の様子を伝える貴重な構造物であり、調和のとれた保存と活用を期待したいところです。
 
●所在地:横浜市中区日本大通34


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