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留学生向けシェアハウス KAMIKITA HOUSEで子供たちのお誕生会を開くまで ~夢見る寿司屋 その壱の夢~

どうして子ども食堂に興味をもったか。

その子に会ったのは6年くらい前だっただろうか。
小学校にあがったばかりの娘の同級生、偶然その子のお父さんも地元で主人と同級生だった。
「ひさしぶり!」と家族3人でお店に入ってきたのをおぼえてる。
まさか、それから数日後にその子のお父さんが末期がんの宣告をされ
そして数年先にはお母さんが家をでてしまうとは、そんなこと、誰もわからない。誰も思わない。主人も久しぶりの再会を喜んでいた。

お父さんもその子も楽観的な性格が手伝ってか、二人になっても明るいおうちだった。そんな性格だからなのか、末期がんも一度は消えた。お医者さんに奇跡の人だといわれたと笑っていた。これからは感謝をして生きると、似合わないことを言っていた。いいかげんなところもあるけれど、周りを自然と笑顔にしてしまうような人だった。
がんが消えて、しばらくたった時、奥さんが家を出ていった。
私たちも驚いて、間に入ってはみたけれど当事者でないとわからないことも多く、夫婦間は修復が難しそうだった。でも、子どもといられる時間なんて人生で少ししかないのだから、後悔するよとお母さんにLINEをおくると支度ができたら必ず迎えにくると返事が戻ってきた。
でも半年たっても一年たっても家は二人のままだった。
連絡はとりあえているようだったし、そう遠くない場所にいるらしく、子どもだけ行き来をしているようだった。お母さんに会える日はいつも嬉しそうだったと娘が言っていた。そんな時、お父さんのがんが再発した。

もともと不規則な生活をしていた子だった。でももっと小学校を休みがちになり、遅刻も増え、顔も無表情になっていった。
「お父さん大丈夫?」「はい。大丈夫です。」
「Yちゃんは?大丈夫?」とその子のことを案じると「大丈夫です。」と。
そんなやり取りを繰り返していたが、ある時ふと聞き方を変えてみた。
「Yちゃん、朝何食べた?」するとYちゃんはちょっと考えて「食べてません」と。「お腹すいてない?」「大丈夫です。」
また戻ってしまう。もう一度。
「昨日の夜、何食べた?」また少し考えてから、「…カップ麺。」
「その前は何食べた?」「カップ麺」その前も、その前も。
お父さんは?と聞くと「具合が悪くて寝てる…。」
「え…。」言葉を失っていたら、「カップ麺好きなんです。」と。
「そっか。でもあんまり続いたらあきちゃうから、うちに食べにおいでよ。」とそれからはお父さんの体調が悪い時は子供と一緒にうちのご飯に誘った。以前は好き嫌いもあったように思ったが、毎回綺麗に食べてくれた。

たまにお父さんと一緒にお店に食べに来てくれることもあった。
でも、がんの進行は進んでいたようで、やがて、お店にも来れなくなった。
Yちゃんのお家が心配だった。もともとお父さんはマンションのオーナーでその一室に住んでいたから、住まいには困っていない。でも持ち主自体はお父さんの兄弟の名前であったから、Yちゃんのうちにどれくらいお金が入ってくるのかはわからない。お父さんは働けない状況だったし、病院の治療費、通院費などを出してもらって、生活費など言いづらいところもあったのかもしれない。Yちゃんはヤングケアラーになった。
とはいえ、今まで何不自由なく育ってきたから、家事も介護もできるはずがない。おうちは荒れ放題だった。たまに娘が友達と部屋の掃除をしに行っていた。Yちゃんは学校にも相談していたそうだ。学校からも区の援助を受けてはと連絡が入るがお父さんは断ってしまう。とうとうお母さんにも連絡をしてお母さんがYちゃんをひきとりにきた。
それはもうあと数か月でYちゃんが小学校を卒業する時期、そしてお父さんが亡くなる数週間前だった。

Yちゃんは突然、泣き出すことがあった。
靴ひもが結べない、といって泣き続ける。主人が結んであげるとありがとうと帰っていく。またある時は転んだといって泣きながら店に入ってきたこともある。ひざが擦りむけていたので、絆創膏を張るとまた泣きながら帰っていった。あの泣き顔が忘れられない。

Yちゃんの小学生生活、ちゃんと思い出が作れただろうか。今どうしているだろうか。

でもそんなYちゃんの問題は表にはわかりにくい。
服だって、お母さんが買って渡すかわいい服があって、身なりも普通というかお洒落な方だったかも。自転車もあったし、生活に困っているようにはみえないかもしれない。でも今、離婚が多い時代、親が一人になれば体調崩したときに子供が孤立化することは誰にでも起こりうると思う。

世田谷区の調査で子育て世帯に、自分たちに何かあった時、子どもを預けられるつてがありますかと質問したところ、半分近くがないと答えたのだそう。親もまた孤立している。

私が子ども食堂に興味を持ったのは、Yちゃんの存在があったから。
プライバシーの問題や仕事量の多さで学校も先生たちも一人一人の子供たちとかかわれない。両親だって、子育て初心者で、子どもにどうしたらよいのかわからない時だってあるのに、頼る術がない。
子供はほっといても育つという言葉もあるけれど、ほっとかれて大人になった子たちは次の社会を担っていけるのだろうか。次の世代を育てていけるのだろうか。

立派なことはできないかもしれないけれど、その子たちが少しでも、ほっとすることができれば。また元気になれるきっかけになれれば。
八百屋のおじさんが昔かけてくれた「おかえり」や「大丈夫か?」が今でも心に残っているように、私もまた、声をかけてあげたい。
お誕生会がそんな思いを伝えられる場所でありたい。

そして、Yちゃんとお母さんがどうぞ幸せでありますように。

願っています。


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