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クリスマスに京都行った歴史好きのおっさんの話

ジングルベールwwwwジングルベールwwww

2022年のクリスマスです。私は子どもの時から派手なものより厳かな方が好きなので、正月と比べると恋人がいようがいまいが全くテンションは変わりません。イルミネーションとか見るのは好きですけどね。

然しながら今年は数年ぶりに恋人がいないクリスマスを過ごすことになりまして、思い切って京都旅行に行ってみました。

現地に年内どうしても会っておきたかった人が居るので……というのは建前。京の都は私かろりんにとって特別なところでありまして、その空気感から街並み、歩く人々や言葉遣いすべてが好きです。これぞ日本人の原点みたいな本当に憧れの地でもあります。

【前提の話】おまえ京都好きだったっけ?

なんでこんなに京都に憧れているのかというと、遡ること20年くらい前のこと。2004年に放送された大河ドラマ「新選組!」というものがありました。

わたくし実はこの作品が大好きで大好きで、大好きで大好きだったわけです。もともと歴史に興味があったクソガキだった私ですが、戦国時代とか源平の合戦とか有名どころの時代にばかり思いを馳せていました。
しかし、そんな小学生の私を急激に幕末史大好きマンに変身させたのがこの
「新選組!」。三谷幸喜氏脚本であり、「三谷作品」ならではの喜劇シーンと、大河らしいシリアスシーン両方がバランス良く保たれた傑作です。
年間通して放送されるわけですが、この新選組!は年間通してみても飽きが来ず、登場人物も全員が魅力的でワクワクして見れたわけです。歴史に全く興味のない妹すらハマってました。それが答えです。

その後京都に行く機会が2回しかなかった

そういうことで新選組が大好きだったわけなんですが、神奈川県民である都合もあって京都にはなかなか行けません。

初めて京都を訪れたのは中学の修学旅行でしたが、新選組関連は全く巡らず悔いばかりが残る結果に。2回目は高校2年生の冬、幼馴染に突然呼び出しをくらい京都へ弾丸旅行。でも、行きもしない大学のオープンキャンパスがメインで大事なところへは行けず終いに終わりました。

クソが!俺が新選組好きなの知ってただろダイスケ!(※幼馴染 いま自衛官)

今回は人生3度目の京都!

さて修学旅行では同じ班の女子たちに、2回目はダイスケのプランによって行きたいところにいけなかったわけです。
3回目の今回は何者も俺を邪魔することはできない。もう既に「最高の旅行にしたい」と計画段階からニヤニヤしておりまして、さながら大切な人が生き返る禁断の魔法を見つけた魔法使いでした。笑い方からキモかったと思います。

クリスマス京都旅行のプラン!

今回のクリスマス旅行、「必ず回るところ」は1か所のみと計画前から決定しておりました。それは新選組の聖地である「壬生寺」とその周辺です。

壬生寺とは?

このブログを読んでる方に「新選組」を説明するのは野暮だと思うので割愛しますが、この「壬生寺周辺」について少々。

もともと新選組は幕府の公的な組織としてスムーズに誕生し発展したわけではなく、最初の方は結構ゴタゴタしていました。
1863年、京都では「天誅」と称して幕府の用心が襲われることが頻発していました。というのも、黒船来航から外国にビビりまくっていた幕府と対照的に、当時の天皇が「異国人は嫌いだ。追い払え」とこぼしていたからです。

それでも幕府は異国人を追い払おうとしません(異国人との戦争が怖いから!)。幕府に対し「天皇様の言うことを聞けー!」と襲撃していた過激グループが京都にうろついていました。

こういうこともあって天皇家と徳川将軍家の仲が悪くなりそうだったので、これらを良好な関係にすべく両家の間で婚姻が行われることに(公武合体)。将軍も京都へ上洛するということになりましたが……まぁ危険です

そこでこの将軍を警護するため集められたのが「浪士組」。これが新選組の基礎となっていくわけですが、この集団の一部が京都に入った際、宿泊していた地こそが壬生寺の周辺なのです。

その後は新選組の初代屯所として著名

↓テンションが上がりすぎて知性を失っている現地の様子。


当初の浪士組は一時的に幕府が雇った公的組織だったのですが、そこの偉い人だった清河さんという方が事件を起こします。実は上記で話した「過激派」の人で、この浪士組を騙して「自分が使えるテログループ」にしてしまおうと画策しました。

これに異を唱え、独立して「俺らは本来の目的を遂げるぜ」と離脱したのが、のちの新選組となっていきます。なので壬生的には「数か月宿泊する浪士連中」だったのが「結構長く滞在する予定の浪士連中」に変わったことになります。僕が村の人なら嫌です

マジで壬生に来たかったおっさん

というわけでやってきた壬生寺なんですが、20年前から行きたいと
思っていた希望が30歳になってようやく叶ったわけです。喜ばないはずがありません。
なんなら、人生で最もテンションが上がったランキング3位くらいの、モンハン3rdを買って帰ったあの頃の5兆倍はテンションが上がっていたと思います。(1位は初めての彼女(当時)のお宅にて2人きりで過ごすことが決まった時)

今までドラマでしか知らなかった、フィクションだと思っていた人たちが実際に寝泊まりしたり稽古をしていたところへ足を踏み入れるわけです。

本物だー!の連発

私はしょっちゅう言ってます。現代人の我々にとって、日本史は物語でしかありません。当事者にはなれず、その時のことはフィクションでしか見れません。だから考察が楽しいんだ、と。

でも、目の前にあるのは「本物の史跡」です。

この壬生内は結成から数年屯所として利用されたこともあり、新選組という物語の前半部分で起きた事件や出来事の「痕跡」がそこら中にありました。つまり「本当に彼らは居た」を実感することができたのです。

ぶっちゃけ、この凄い体験をするために史跡観光を趣味としているわけですが……もう、ほんと、感無量でしたね。今も壬生に残る旧八木邸には、筆頭局長だった乱暴者「芹沢鴨」が暗殺された現場や、当時できたと思われる刀傷が残っていました。

ここに居たんですよ彼らは。

その後の壬生

今日この景色だけでご飯食べれた。

新選組結成から前半期、壬生時代のエピソードとして詳細は割愛しますが以下のものがあります。

・壬生浪士組 結成

・公的機関として認められ「新選組」に改名。

・芹沢鴨 平山五郎 暗殺

・屯所内で楠小十郎ら3名を殺傷

池田屋事件 そしてその時の拷問……。

・山南敬助 切腹

まだまだたくさんあるんですが、新選組という組織のターニングポイントとなるエピソードが勢ぞろいです。
エピソードとしてあげた山南の切腹後、新選組は屯所を西本願寺へと移転し隊士は百人を超え最盛期を迎えることとなりました。

長くなったのでこれくらいにしておくんですけど、なんの媒体でもいいので新選組に触れてみてから京都旅行に行くと、マジで虜になります。

皆さんもぜひ新選組ラヴになって幕末を愛してください


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