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力士の引退後

力士の引退後というのが難しい。セカンドキャリアともいわれるが力士自体がキャリアかも難しく実際年寄として残れなければ苦労しているケースも多い。道を外れて逮捕されるケースもありかつては賭博、最近は強盗、詐欺でも元力士の逮捕者が出ている。元琴富士は年寄退職後、一時タレント活動をしたが上手くいかずちゃんこ店勤務から偽装結婚で逮捕。療育ケアで再起をかけたが脳梗塞に倒れ寝たきりと寂しい状況。

力士は相撲界に残らず完全廃業となると縁が一切切れてしまうことも多いようだ。中には秋田でリース会社を経営している元巴富士のように長年消息不明の扱いもあった。近年まで何の情報もなかったのは不思議だ。

引退にも2パターンあり円満に断髪式まで済ませての引退と脱走同然、蒸発のような引退。

昔は幕内でも人間関係などから蒸発のように引退のケースはたびたびあり、昭和30年代以降入幕の幕内力士を挙げても起雲山、豊ノ海、逆鉾、沢光あたりがそのようだ。 また海乃山、信夫山は引退後独立を認められず程なく廃業のケースとなる。

その中で豊ノ海義美は昭和33秋に柏戸、若秩父と共に入幕、揃って19歳で3人とも勝ち越したことからハイティーントリオと呼ばれ盛り上がった。少年誌の企画であったか艦長役の朝潮にマドロス姿の3人の写真の印象が残る。この中では柏戸は当然ながら若秩父が目立っており、事実塩撒きやベテラン力士にも物怖じせずぶつかっていく土俵から大関も期待されていた。豊ノ海も180センチ弱、80キロほどの体ながら俊敏な相撲で相応の期待はあったようだ。しかし翌場所負け越しで十両、この頃より生活面や精神面からくるものか脱走と復帰を繰り返すようになり一進一退。結局昭34夏限り廃業となった。当時の雑誌には月給3万を捨てるとはなんと勿体ないことかと豊ノ海の引退を惜しんでいる。引退時で20歳2か月は幕内力士の最年少の引退記録であった。のちに若ノ鵬が記録を更新したがこれは解雇によるもので純粋な引退では今でもトップである。

その後は戸高鉱業社に勤務という一文のみ名鑑等にあったが、近年ネット上でひょんなことから近況を知った。地区の自治会長を務め小学校で地域の歴史を教えたり、市の演芸大会で相撲甚句を披露するなど地域のリーダーとして暮らしていた。正直相撲界を去るとごっちゃん体質などの特殊な文化もあってか出世する程上手くいかない人、失敗する人が目立つ。このように地域住民としてコミュニティに溶け込み平穏に暮らしているケースはさほど多くないと感じる。豊ノ海こと西尾義美氏のケースは珍しい。


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