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木村庄之助の権威②

行司界も木村容堂が式守伊之助に昇進。残り2年ほどだがすんなりと庄之助昇格なるだろうか。

読売大相撲47年5月号「その後の4庄之助」の続き。かなり間があいてしまった。25代庄之助(夏みかん)は協会と対立し定年前廃業となった。これ以降定年を待たず退職した庄之助はいない。

次は24代の庄之助。簡単に履歴をみると、明治34年千葉県の生まれ。怪童の誉れ高く、錣山(小金山)、国見山らが勧誘に来たが、阿武松(大見崎)の養子となった。明治42年5月に入門。しかし7歳では相撲は取れない。行司でもやってろと木村芳松で43年春初土俵。大正7年夏に幕下格まで昇進。17歳だが今更力士も…となり力士は断念。大正13年に十両格、昭和2年、ふぐ中毒で亡くなった福柳の名から式守伊三郎に改名、昭和7年の春秋園事件で脱退、営業面で活躍。13年春帰参し幕下格。14年に十両格、18年幕内格、22年三役、24年鬼一郎となり、35年定年制の影響で一挙に式守伊之助、38年木村庄之助。41年に退職。その後国学院大に入り神主の資格を取って白子神社の神主をやったが、長年の大酒から心臓肥大となり46年から入院中であった。その中でのインタビュー。

入院中とはいえ元気で

家にいるとつい飲んでしまうので入院してるんだ。千代菊が小岩の家に山になってる。どこへも出ていく病人だ。ずいぶん色紙を頼まれます。

怪童という通り大柄な行司で、175センチ、90キロほどあったようだ。これでは力士として有望視されるのも納得である。酒や色事でも数々の逸話を残している。

庄之助の権威から行司全体になり

なぜ庄之助に2番さばけというんだろうね。十両以上の行司を4人も5人も休ませるなんて意味がない。安っぽくなりますよ。格を持たせてやらなきゃ。
横綱は勝つことは習っても勝ち負けは教わらない。見ることにかけては庄之助は50年、60年みている。大先輩だ。検査役に何がわかりますか。

名前上げたくないが、確かに筆之助、勘太夫などまずいねえ。ただクビ切っちゃかわいそうだし生活できない。切るなら養老金ぐんと多くするとか、残すなら地位を朱房以上に上げないことにしてもいい。両方とも前例があるんです。

まずい行司をはっきり挙げている。現在にしても発声など覇気がない、動きの悪い行司はいる。病気で年功序列が崩れるケースも多いが、この先も大きく変わる可能性がある。

ちなみに筆之助は幕内格に留め置かれ、転倒騒動があってから病気休場が続きそのまま亡くなった。とはいえまだ60歳でいかに早くから衰えていたか。勘太夫も抜擢制度により不遇であった行司で、幕内格昇格から26年後にようやく三役。これは数か月年下の式守伊三郎の死去によるもので、これがなければ定年まで上位から6人目であった。一体どうなったか。

差し違いについても不満が多く

39年初の柏戸琴桜は、うちわ通り琴桜の勝ちだし、35年名古屋の朝潮大晃もうちわ通りです。(中略)検査役の黒星で行司が正しかった。
貴ノ花北の富士は、北の富士の手はつき手です。かばい手で押し通して庄之助黒星にしたうえ、謹慎など筋が通りませんよ。
すぐに庄之助を作らないのもうなずけませんな。あいたことなんてないですよ。

長髪でも知られた庄之助。酒と相撲が強く天竜や清見潟が序二段になっても勝てなかったとか。

酒はずいぶん飲みました。15の時から1日5合を割ったことはまずない。計算したら貨車2両分、600数十万円は飲んだ勘定になった。

北の富士は新弟子時代、この庄之助の付け人だった。当時行司の付け人は見込みのない人間が回されることが多く、北の富士も例外でなくそのようだった。しかし豪傑であった庄之助(当時鬼一郎)から相撲のイロハに始まり、酒や色事を教わった。

相撲人としての基礎、解説での奔放さや現役時からの自由人ぶりもある意味、この豪傑庄之助によって形作られたのかもしれない。

現役行司で初めて番付書き担当、書道を極め庄翁の号を受けたり、神主になるなど異色だった。

33年5月に二枚鑑札が認められなくなった。庄之助伊之助は年寄待遇をうけていたし、私が阿武松、今朝三が錦島、勘太夫が鏡山を襲名していたがまかりならんということで、大いにかみついたが結局認められなくなり、私は行司一本になった。このころから行司の権威がなくなり年寄専横時代に入っていったようだ。年寄がいばっていて力士を大切にしないと、今後どうなることやら。心配ですな。

25代と同じく年寄万能時代と締めている。行司が年寄となれた時代には、行司がそもそも事務的な業務も担っていることもあってか、幹部となることも多かった。しかし現代は元力士オンリー。問題続出から監事に渋々外部が入るようになったがどれほど機能しているか。単なる天下りになっているようにも感じる。名人呼出しの太郎もだが協会幹部にかみつくほどの行司がいてもよさそうだ。

行司の話ということで審判問題だが、今回の五輪は判定や組み分けから怪しい点が多かった。柔道・サッカーやバスケットの判定に始まり、ブレイキンでも予選の組分けもだが、試合も技や盛り上がりと比例しない判定で、不満をにぎわせたようだ。どこかスポーツ全体に主観が入り、公平さが抜けている。大相撲はかつて議論が盛んにあったが、現状では公平な部類に傾いているのかもしれない。


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