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談志一代記を読む③師匠小さんについて

談志と小さん。これほど奇妙な師弟もない。談志は小さんであろうと年長者でも構わずこき下ろしていた。普通であればクビものだろうがそれを黙ってニコニコ見ている風情の小さん。莫迦野郎と貶しながら何もかも許している。結果的に落語協会を「破門」の形で立川流を創設したがその後も友人のような師弟は変わらなかったようだ。人間国宝小さんの唯一のおもちゃだったのか。

そもそもなぜ小さんの弟子になったのか。

当時好きだった噺家は志ん生、柳好、金馬。文楽師匠の噺はまだガキには無理でわかりませんでした。若手中堅では何といっても小さんが圧倒的に好きでしたね。
噺も面白いし、清潔な感じがしました。外見だってつるつるしてるからね。あの顔つるっとして栗見たいでしょ。栗の助。当人は嫌だったみたいで、おれには「クリクリして可愛かったから栗之助とつけられたんだ」と言っていたが。

談志入門時の小さんは30代後半で真打になって5年程、小さん襲名から2年だった。若手では有望株だったようだ。事実昭和28年にTBS(ラジオ東京)が落語家の専属制度を創設の際、文楽、志ん生、圓生とともに専属となっている。実はもう一人、昔々亭桃太郎という柳家金語楼の弟で戦前に東條英機も贔屓だったという人気者もいたのだが、こちらは復員後完全に不遇で終った。それはまた別項で。

ともかく小さんが良いと思った。清潔というのが面白い。それは髪が薄く真打の中では若いというのが大きいだろう。意外と40代半ばまでの小さんは顔も後年の丸型ではなく菱形に近い。また当時弟子がいたのは志ん生文楽程度で小さんには3人程、圓生は未だ弟子がいないという時代だった。落語協会の真打が20人ほどという時代である。

親には反対されたが末広亭に向かった談志。

末広亭の木戸口にいつも着物姿でステッキ持った一見壮士風のおじさんがいて、これが演芸評論家の真山恵介さん。
∸「日曜演芸会」で解説をしていた
そう、前々から目をつけていたんです。顔広そうだし、どうにかしてくれないかと。思い切って話しかけた、「落語家になりたいんですが。このまま高校大学行って月謝払うより、経済的な負担もかけないし、そっちの方が良いと思うんですがどうでしょう」
この訊きかたが気に入ったらしいんだ。「誰の弟子になりたいんだ、今輔か」「いや、小三治の弟子になりたいんです」もう小さんになってるのに、前名を知ってるんだぞという粋がりでね。それで紹介してくれて、目白を訪ねた。小さん師匠はまだ、古くて汚い二階家に間借りで住んでました。

既に小さんになって2年経っていたがあえて小三治と挙げた。このあたり談志の俯瞰精神、小理屈が既に出ていた。月謝払うより、経済的な負担もかけないという言い回しも並みの高校生ではない。

師匠は火鉢の灰をならしながら

「大変だぞ、この稼業は。派手に見えるかもしれないが儲かる商売でもないし。止めた方がいいよ。」
こっちは舞い上がってますからね。大丈夫です、やります、できます、平気です。「じゃあ明日ったから来なさい」ということに。

落語家に反対だった母も生活ぶりを見て真面目そうと安心した。ところが前座となると

両親は小言言わなかったんですよ。だから免疫もないしね。楽屋内でのべつ小言食らって「とりあえず謝っちまえばいいんだよ」と言ってましたが、間違ってないのに、どうして頭下げなきゃならないんだと思ってましたね。それが顔に出て、クソ生意気な奴と見られてたでしょうなあ。おかみさんが、あたしのことを「手がかかるよ」と言っていたのは事実です。

小さんの小言は長かったようで

小言とは何か考えましたよ。「不快感の瞬間的発散」であって教育とは違うと。ところが小さんは真面目な人ですから真剣に弟子を教育してるつもりですからね。長い長い。うつむいて反省してるふりして歌うたってましたよ。

小言はいくらでもあり

ある時「出てけっ」と言われて外に出されて、中でなんていうか興味あったので、戸袋の所で立って聞いてた。それが見つかって「うん、こいつも感心なところがある。許されるまで外にたってた」。違うやい。

一番怒られたのは、歩いてて小言が始まったんで、おれだけ角で曲がっちゃったの。小さん師俺が後ろにいると信じてて、一人で歩きながらブツブツ言ってた。

しかし小さんには嫌な思い出がないと断言している。

新年会でスポンサーみたいな客と喧嘩した時や、いろんな喧嘩であたしの肩を持ってくれた記憶もあります。物事にあまりクヨクヨしないし…クヨクヨする思考を持たなかったという事もあるけど。有り体に言って男っぽい人で、悪口言うのは嫌で、卑劣なところも丸でないし、いい師匠でした。放任主義というか、小さん師匠の所でなけりゃとっくに破門されてたでしょう。

そのクヨクヨする思考を持たないの裏返しか後年の脱退騒動につながる。当然小さんの人柄がネックとなったのもあるだろう。つづく。

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