パイナップルオンピザの考察 〜なぜ主人公はマグマの上を歩けたのか?〜
パイナップルオンピザとは、steamで配信されている妙に高評価率の高い無料のゲームだ。おさらいとして説明すると、このゲームでは、一人称視点でトロピカルな島を散策し、陽気に踊る島民たちを見て回ることができるが、島の中央にある火山に飛び込むと島はマグマに飲み込まれる。そして、最後に見える島の形は、まるでパイナップルを乗せたピザのよう……という、説明だけではなかなかカオスなゲームである。
ところで、このゲームはただでさえ謎が多いが、その中でも下記の点について疑問に思ったことはないだろうか?
「なぜ主人公は溶岩の上を歩いても平気なの?」
おそらく多くのプレーヤーが疑問に思ったことだろう。しかし、島の住民たちの阿鼻叫喚の様を見てるうちに、その衝撃があまりにも強すぎてそんなことを深く考える暇もない。そうして2周目あたりからは島の住民の様子を見て回って楽しむプレーヤーが大半なので、「まあそういうゲーム上の仕様なんだろう」と妙に納得してしまう。
今回noteでは、この点について私なりの考察を展開したいと思う。当然ネタバレありなので未プレイの人は先にプレイして欲しい。
ネタバレ注意!
結論を先に言ってしまえば、「主人公は火口に飛び込んだ際に死亡し、魂になって島を彷徨っていた」である。
まず確認したいのが、火口に飛び込んだ瞬間に島の島民とそっくりなキャラクターが一瞬映る、と言うことだ。一瞬しか映らないので見逃している人もいるかもしれないが、飛び込んだ時に視点を下に向けているとはっきりと確認できる。一体この人物は誰なのだろうか?
一部の動画配信者からは軽く言及されているが、これはおそらく主人公であると考えられる。プレーヤーが飛び込んだ瞬間に見えるのだからそう考えるのは自然であるが、もう一つ決定的な根拠がある。
プレーヤーは火山の噴火前と噴火後で島中を自由に探索できるが、もし住民の誰かが火口に飛び込んでいるのであれば、当然噴火後に誰か一人がいなくなっているはずだ。しかしそんな住民は一人も確認できない。つまり、飛び込む瞬間に飛び込む人物が主人公であることが確定できる。
しかし、ここで一つの疑問が生じる。「なぜ火口に飛び込んだ瞬間だけ主人公が見えるのか?」ということだ。このゲームは一人称視点のゲームである。なぜこの瞬間だけその主人公が「見える」のだろうか? そして、もし彼が火口に飛び込んだのであれば、その後はプレーヤーは誰の視点を見ているのだろうか?
そしてこの疑問が、メインテーマである「なぜ主人公は溶岩の上を歩けるのか?」に繋がっていく。
前述したように、主人公は火口に飛び込んだというのが私の考察だ。そして火口に飛び込んだ人間に何が起こるのか。言うまでもない。その先に待っているのは「死」だ。通常のゲームで主人公が死亡すればゲームオーバーになるので気が付かなっかった人が大半だが、火口に飛び込むのは自殺行為だ。普通に考えれば死ぬ。
つまり、主人公は「死亡」することによって「魂」と「体」が分離したのだ。つまり、火口に飛び込んだ瞬間にだけプレーヤーを見ることができたのは、「魂」の視点で主人公の「体」を確認できたからだ。つまり、噴火後は「魂」の視点をプレーヤーは操作していたのだ。これなら溶岩の上を自由に歩ける理由のも納得がいくだろう。もう死んでいるのだからダメージを受けるも何もないわけだ。
そして極め付けは、溶岩が島の全土を覆い尽くし、全ての島民の悲劇が終わった頃、プレーヤーの視点は「天に昇る」ように上空に移動することだ。島を上から見下ろすと、島の形が「パイナップルオンピザ」になっているということに気づく重要なシーンであり、見事なタイトル回収に気を取られてしまうが、もし主人公が魂となって島を彷徨っていたとすればこのシーンにもう一つの意味が見出せる。つまり「主人公の視点が上に移動した」=「主人公自体が上に移動した」=「主人公の魂が上に移動した」のではないだろうか? つまり、主人公の魂はこの時、「天に昇った」のではないだろうか?
以上が、私のパイナップルオンピザに関する考察である。もしかしたらまだ考察する余地があるかもしれないので、また何か思いついたら考察を書くかもしれない
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?