ちゃんと食べなさい
食べなくても生きていけるとわかると、めんどくさくて食べなくなる。アフリカのひもじい思いをしている人が聞けばなんというか。私は罪人か。
去年の冬、帰省した。久しぶりに帰って、お宅の金でせこせこ生きてまっせ、と言ったら、母は痩けた頬を見て心配そうな顔をした。「ちゃんと食べてるの」と。
下宿に戻るとすぐに夏が来た。だるくてまともにご飯を食べていない。そうめんかそば、それか、コメとキムチ。食べている方かもしれない。それでも「また、痩せたんじゃない」と心配されるだろう。これ、母親の習性らしい。どの母親も言うらしい。なら無理に食べなくてもいいや。
「うん。痩せたよ。食べてないからね。」
食べられる環境で食べないという選択はどうかと考えた。食べることへの嫌悪感を感じるのはどうしてか。発展ばかりが善ではない。無論、発展途上は悪ではない。発展することが基準のこの言葉もどうかと思う。恵まれているという自覚の次に、だれかに与えるという行動を取らなければ。
僕には何ができるでしょうか。
料理のレパートリーといい、そもそも料理の大変さを身にしみて感じ始めたこの頃、「OVER THE SUM」を聴きながら、多年の骨折りにはかなわないと思いました。
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