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 カラスをよく見かける。隣のアパートを通り過ぎるときは、カラスが散らかしたゴミを避けて歩く。ゴミをつついているカラスも見た。用水路越しに間近にみたこともある。紫に艶めくハネを一度でいいから触れてみたいと思う。高校の校庭の上を無数のカラスが飛んでいく事もあった。みんな揃って城山に飛んでいくさまは、烏合の衆というほど無秩序には見えなかった。
 安部公房の『砂の女』(新潮文庫)の表紙にもカラスが描かれ、重松清の『見張り塔からずっと』の「カラス」という短編も印象的だった。とある講演で、ある現職の先生が「他者を排除して自分たちだけ心地よくなるのは許せない」といって問題児と向き合った話を聞いた。悪いとはわかっていても、嫌なものを排除しようとする心の動きに少し感情が高ぶる。もっともその方は私学の先生で、選抜した子どもたちだけで成り立つ学校で働いているくせして何を言っているとは思ったが、これは言わないでおく。カラスに植え付けられた忌み嫌うイメージを払拭しようとは思わない。僕はそれを通して他者を見るだけ。お前はどうなんだ。かくいう僕はどうなのだろうか。
 もっとも醜いのは人間だ。『異端の鳥』という映画は不愉快だけど、面白い。欲望に掻き立てられて動いたときには無性に虚しくなるが、それを忘れよう忘れようと日々もがくと、いつしか誰かと肩を寄せ傷を甜め合うだろう。他者も排除するだろう。ある集団に属するとその顛末がみえて逃げ出したくなって、でも一人では生きていけなくて、ちょうどいい距離感を探して、うろうろする。


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