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名古屋旅行・3・狭間

寝るのが遅かったので当然、起きるのも少し遅かったですが、動き始めたころはちょうどいい時間帯でした。この日はとうとう最終日ですので、旅と現実とのハザマで皆の顔はやはり曇っていました。一方で空は快晴、またしても空は暑い日差しを容赦なく注ぐので、この苦しさは現実を暗示していると思わずにはいられませんでした。旅の途中で現実に苦しめられ、今思うとこれほど滑稽なものはありません。

 苦しい苦しいといいながらも小倉トーストのモーニングを食しました。そこは小倉トースト元祖らしいですが、名前は忘れました。宿の商店街の店の一つで、実はその商店街もかなり歴史のあるのもらしいです。その喫茶店、コーヒーも美味しそうでしたが、Sは味の違いがわかる大人になりたいと言いまして、僕は下すのでゲキブツは避け、あるもので代用しましたが、せっかく外国から取り寄せた良い豆をミルクで台無しにするので、その背徳感から苦味より甘みを強く感じるのでした。人はそれをカフェラテと呼び、コーヒーの代用として飲みますが、砂糖はきっと不使用です。

 この日は何度コーヒーを飲んだでしょうか。すこし嫌になりました。カフェインのとりすぎですこし気分も悪かったです。喫茶店をでたら名古屋駅に向かい和菓子でも土産でも見てやろうと思ったのですが、結局来た道を辿ってたまごサンドを食べました。昼ごはんにしては少ないですが、その向かいのはねえびの海老フライを食べる気にはなるほど少なくもなかったです。

 文明を使うかどうかはきっとどっちでもいいのです。それでういたお金もきっと何かに浪費してしまうのではじめから楽したほうがいいのです。

 歴史ある商店街の東の入り口近くに、これもまた歴史のある橋がありましたが、何かよくわかりませんので、むしろ向かいの工事中の鉄骨のほうが気になりました。地下鉄で、行ったり来たりしたので地下鉄はほぼ理解しました、古着屋に向かいました。そこでジーパンでも買ってやろうかと思いつつも買わなかったので、僕にとってはこんな機会がないのでこの機会を逃さんとユニクロでジーパン、無印でシャツを買いました。生活していればいずれする消費ではありましたが、旅の途中にすべきではありませんでした。僕だけ早くに僕の住む町に戻ってその道中で買えばよかったのです。すこし友人に悪く思いましたが、何もない名古屋が悪いのです。人も街も物質主義の悪いところが露呈しました。

 次第に口数が減って、顔も曇るとこまで曇れば次第に生気を失ってゆく。そのさまを僕はみました。それほど旅が非現実なのか、それもと現実が酷いのかはわかりませんが、向き合ってゆかなければいけないのは事実です。

 名古屋駅に戻り、僕は僕の住む町へ帰りました。その後友人がどう過ごしたかは知りませんが、僕は一人になった途端、急に気持ちが楽になりました。僕らの苦しい現実が3つも重なると黒より暗い、未知の空間になるのです。それはもしかしたら、「無」なのかもしれません。本当はもう一人友人が来るかもしれなかったのですが、就活とかなんとかで来れませんでした。4人になると2人づつに分れたことでしょう。タイに行ったときもその傾向がありました。4人は力が飽和するので動きづらく、分かれるとなると3対1か、2対2になるのですが、3と1に分かれると1は不安で動きにくいし、友人と来た意味もわかりません。ですから、旅の最大人数は3人だと思います。生き抜くには恐らく最大の力を発揮するでしょうが、それが負に陥るとその効果も最大で影響します。今回の病んでゆくさまは3人の最大能力をマイナスの事象に使ってしまったので起こったのです。まだまだ、旅の本質を知りません。みんなが一人で旅に出て戻ってきた頃にはまた違った旅ができるかもしれません。楽しみです。

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