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宗教家日誌10

おはようございます。今日は7月11日。
教組年祭まで、あと564日となりました。

昨夜は大雨でした。皆様ご無事でしょうか。

私が担当する教会建物は大正8年竣工。なので古い。
私が会長就任した時には、あちこち雨漏りをしていた。
「直せばいいじゃない」と言われても、先立つものがない。

コロナ禍だった頃。ある決意をした。
特に雨漏りがひどかったのが客間。ここを直そうと決意。

工事費をつくる為、あちこちの銀行を渡り歩く。が、宗教法人はお金は貸してもらえない。
という現実をはじめて知った。1円も、だ。

さあ困った。どうする。決意だけでは雨漏りは止まらない。

雨が降るたびに心がキューっとなる。

雨もり箇所は多いのだが、特に辛かったのは神殿の雨漏り。
「ポタっ!ポタっ!」とやたらと響くのだ。
神殿は神様を御鎮めしているところなので、一番私にはこたえる。
「大切な神殿に雨漏りがしております。申し訳ございません!」と。
その都度、心臓が止まりそうになる。

が、その「どうでも直す」と決めた心を神様が受け取ってくれた。
お金はないが客間の瓦葺き替え工事を着工。
完了後、神殿の雨漏りも直してもらった。
その時の瓦屋さんは英雄に見えた。

これが第一期工事となった。
瓦屋社長が
「客間の瓦葺き替え工事が完了したら工事費の支払いをお願いします」
この言葉は私の心をえぐった。
眠れない日々、と書きたいが、心配してもはじまらないのでちゃんと寝た。
そこからだ。不思議とお金がどんどん寄ってきた。
支払いができた。その上お金が余ったので
門の瓦葺き替え工事をした。
これが第二期工事となった。

翌年、土塀の瓦の部分補修工事。

で今年。最後の雨漏りしている棟の瓦を直せるか。
という状況。

不思議が神

と教えられるが、この瓦工事一つをとっても不思議なことだらけ。
「神様はあるなあ」と何度思ったかしれない。

不思議なことを経験するには、実は根拠と理由がある。
信仰と言えば困ったときに「願う、頼む」ということが挙げられる。
「願うのも頼むのも自由」
でもね、そこにはこれまで積み重ねてきた

が必要なんだ。これがないと不思議なことは起こってはこない。

最後は
理が
ものをいうんだ。

さ、今日もくもりですが、講話日を勇んで勤めます。
Instagramにのせようかなあー、と独り言。
午後からは信者さん宅に行き、その後は若い夫婦が教会に来る。
なんか相談があるらしい。ドキドキ。



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