宇野昌磨さん引退について

宇野昌磨、引退

フィギュアスケートの宇野昌磨さんが現役引退を発表しました。
彼は世界で初めて4回転フリップを成功させ、オリンピックでメダルを3つ獲得し、世界選手権を2連覇するなどの輝かしい記録を樹立し、疑う余地がないほどの世界トップクラスの選手でした。
直近のシーズン(2023年-2024年シーズン)でも、グランプリファイナル銀メダル、全日本選手権優勝、世界選手権4位という成績であり、まだまだ世界トップクラスのレベルを維持していたので、この状態での引退は少し驚きでした。
ただし、26歳という年齢を考えると、男子シングルのフィギュアスケート選手としては平均的な引退年齢だとも思います。

宇野さん自身は「好きで続けてきた」という姿勢を貫いていますが、スポーツで世界トップを維持し続けるには、肉体的にも精神的にも、一般人が想像する以上に厳しいでしょうし、多くのものを犠牲にしてきたと思います。
宇野さん自身も悩んで、考えて、最後には納得して出した結論だと思います。
僕は宇野さんの、弓がしなるような美しい四肢の動き、音楽と調和したスケーティング、どんなジャンプでもGOEプラスに変えてしまうような巧みな膝と足首の使い方、どんな試合でも最高難度の構成で挑む挑戦心が好きでした。
多くの素晴らしい演技でファンを楽しませてくれて、感動を与えてくれて、本当にありがとうございました。
そして、心からお疲れ様でした。
宇野選手のおかげで、フィギュアスケートのことが、もっともっと好きになりました。
僕以外にもそんな人が大勢いると思います。それくらい、魅力と実力に溢れた選手でした。
フィギュアスケートというスポーツの歴史上、多くの偉大な選手が活躍してきましたが、彼が競技を引退した今、彼の素晴らしさ、偉大さ、特異さを、フィギュアスケートの一ファンとして、改めて考えてみたいと思います。
彼の偉大さ、すごさは数多ありますが、僕が特に注目したものは二つあります。

宇野昌磨のすごさ、その1

一つ目は、何といっても活躍期間の長さです。
ご存じの方も多いと思いますが、フィギュアスケートは選手生命がとても短く、また多くの選手が怪我により一定期間競技を欠場することが多々あります。
ジャンプの高難度化が著しい近年ではこの傾向はより強まってきています。
にもかかわらず、宇野選手は2015年にシニアデビューして以来9年もの間、怪我での休養が1シーズンもありませんでした。
いくつかの試合を散発的に欠場したことはありましたが、全日本選手権や世界選手権など、代表選考や次年度の枠取りに関わる主要な大会には毎年出場し続け、そして出場した全試合で、一桁順位を獲得し続けました。

上述のように、26歳で引退というのは、選手としては平均的な年齢だと思いますし、中には30歳を超えても競技を継続している選手もいます。
しかし男子シングルの多くの選手は、世界選手権などの主要大会でメダルを狙える位置にいることが出来るのはせいぜい2~3年くらいです。
彼はシニアデビュー以来9年もの間、常に世界選手権のメダル候補でい続け、現にシニア期間の初期(2017年大会、2018年大会)から後期(2022年大会、2023年大会)まで、メダルを獲得しています。
これは、フィギュアスケート競技ではかなり特筆すべきことだと思います。

宇野昌磨のすごさ、その2

二つ目は、彼の人間性の高さです。
きわめて主観的な意見ですが、何か特定の分野に秀でている人は、その分何かに欠損している人が多いような気がしています。
そう言う意味では、「天は二物を与えない」という言葉は真理ですし、トータルで見れば人は平等なのでしょう。やはり完全無欠な人間などいないのです。
競技の世界で素晴らしい成績を残して、「神」や「レジェンド」と形容された選手の中には、引退後に私生活での言動でトラブルが発覚する人も少なからずいますよね。
もちろん有名人のスキャンダルと言うものは、古今東西大衆の興味の的であり、尾ひれがついて広がることもあるので、それらがどこまで真実なのかは分からないです。
事実であったとしても、別の視点から見ると実は違う事実が見えてくることもあると思います。
矛盾した言い方になるかもしれませんが、僕はスキャンダルや問題行動がないと言うことが必ずしも良いことだとは思わないです。
人間生きていれば、気を抜いたり、魔が差したり、誤解されたりすることもあるでしょう。
欠点があるからこそ人間らしいとも言えますし、何に関しても清廉潔白を求める風潮もいかがなものかと思います。
欠点だと思われる特性も、別の場面では長所になることもありますよね。何を以て欠点と言うのかも難しいです。

ただ上述のように、何かに秀でた人は、その分他の部分で課題抱えやすいというか、特に良好な人間関係の構築やコミュニケーション面で課題を抱えやすいと感じることが多いんですよね。
一般的には、幼児から思春期にかけて、多種多様な人と関わる中で多くの失敗や挫折を経験し、そこからコミュケーションスキルや、他者が自分と同様に喜びや悲しみや願望を抱えている人間であるという事実に気づいていくものだと思います。
一方でアスリートと呼ばれる人たちは、幼少期から一日のほとんどを練習に費やすことがほとんどだと思います。
そして結果を出せば出すほど、自己に下される評価が称賛一辺倒になっていく。
他者に対して不快な言動を取って怒られたり、異なる意見がぶつかったりという、双方向的で多様な内容のコミュニケーションを持つ機会が、一般人に比べると少なくなってしまう。
そのような場面を経験したとしても、競技で結果を出しているからという理由で大目に見られてしまう。
その結果として、自分以外の他者という視点を持つ機会が一般人に比べて圧倒的に少なくなってしまうのではないか。
単純化しすぎかもしれませんが、ざっくりと言うとこのような経験の積み重ねが、アスリートと非アスリート間でのコミュニケーション様式の相違を生み出す原因となっていると思います。

しかし宇野さんの発言からは、たびたび周囲の方々へのリスペクトが感じられました。そしてそれらは、これまた僕の主観ですが、彼の本心なんだろうなと感じらるような自然さがありました。
彼の活躍は、彼自身の能力の高さ、並大抵ならぬ努力、怪我をせずに大技を習得するための練習量・質をコントロール出来るセンスなど、言うまでもなく、彼自身によって到達されたものです。
と同時に、大きな怪我をしないような強靭な肉体、競技を続けられるだけの経済力、自分にフィットするコーチなど、幸運によって持たされた部分も少なからずあると思います。
宇野さんの言動からは、自身がそのような幸運によって支えられているということを、意識してか無意識的にか、理解していることが感じられることが多くありました。

元コーチ、山田満知子さんの言葉

かつて宇野さんのコーチをしていた山田満知子さんの言葉で、とても印象的な言葉が二つあります。
「誰からも愛されるスケーターになりなさい。」
「自分の教え子には、『スケートバカ』になってほしくない。」
この言葉を聞いた時、とても示唆に富んでいると感じました。

競技を引退してからの人生の方が長い。氷の上で何回転できたとしても、それは氷を降りた後の人生では何の役にも立たない。
フィギュアスケートを一生懸命頑張る真の目的は、困難を乗り越える強さ、前向きに生きる姿勢、他者へのリスペクトなど、人生において本当に重要なものを獲得することである。

山田コーチの発言を僕なりに解釈すると、こう言うことかなと思います。
宇野さんは、このような山田イズム(と僕が勝手に呼んでいる)を継承しているような感じがします。

世界選手権でも感じた、宇野昌磨らしさ

今年の世界選手権で、彼はショートプログラムで1位でしたが、フリーでいくつかミスが出たため総合4位となり、惜しくもメダルを逃しました。
しかしその後のバックヤードで、優勝したアメリカのイリア・マリニン選手とハグし、一緒に写真を撮っている場面がテレビで映し出されました。
宇野さんが出場する試合は、誰が勝っても負けても、とても清々しい気持ちになります。スポーツの神髄ってこれだよな!と感じさせてくれます。

余談ですが、女子ショートプログラムの後、ショート4位の坂本花織選手とショート首位のルナ・ヘンドリックス選手が笑顔でハグをしている場面も、今大会の僕のお気に入りの場面の一つです。
双方優勝候補でライバルでした。そしてお互いが、母国から期待されているその重圧を理解している。お互い最善を尽くしていることを知っている。
言葉はなくても、お互いを鼓舞し労っている。そんな場面でした。

話を宇野さんに戻すと、今後、技術面、表現面で彼を上回る人はたくさん出てくるでしょう。いかなる競技でも、記録はいずれ破られるものだからです。
彼の現役期間中にも、ジャンプではネイサン・チェン、イリア・マリニンなど、彼を上回る選手がいました。表現面に関しては主観的なものなので、人によって意見は変わるでしょうが、アメリカのジェイソン・ブラウン、フランスのアダム・シャオ・イムファなど、独特の表現で高い評価を得ていた選手もいました。
それでも尚、多くの人が彼に魅了されているのは、彼の競技での活躍と同等かそれ以上に、彼のそのような人柄が多くの人に伝わっていたからでしょう。

宇野昌磨第二章に寄せて

上述の通り、競技を引退してからの方が人生は長いです。ですが、「競技」という一つのジャンルを引退した今、宇野さんにとって一つの区切りであることは間違いないと思います。
これからが、「宇野昌磨第二章」の始まりですね。
実績も人柄も兼ね備えた宇野さんなら、今後もきっと、自分らしい道を見つけて、オンリーワンの人生を歩んでいかれるんだろうなと思います。

スポーツに限らず、何かの分野で地位や名声を築いた人の引退後の人生って、本当に千差万別です。
後進の育成に携わる人もいれば、全く別の分野でキャリアを積み上げる人もいます。テレビに出てタレントのような活動をする人もいます。
どんな人生を送るか、それは完全に本人次第です。
どんな選択であっても、本人が満足していれば、それが最良の選択なんだと思います。
ただ個人的には、宇野さんには、新しい何かを生み出してほしい、と期待してしまいます。過去の栄光に頼る選択をしてほしくないと思ってしまいます。
元選手の中には「メダリスト」という肩書を活かして(というより「すがって」という表現の方が近いと思う)、テレビに出ることをメインにしている人もいますよね。
スポーツキャスターをしたり、解説をしたり、バラエティ番組ではしゃいだり…。
僕は正直、そういう元選手たちを見ると、少し残念に思ってしまうんです。
文字通り心血を注いで、多くのものを犠牲にして、限られた人にしか得られない喜びを手に入れて。
それらは全て、そんなことをするためのものだったのか?
そんな、誰にでもできることを?
もっと、彼らにしか出来ない事があるんじゃないのか。

テレビに出る仕事をすれば、無条件で称賛され、何年経っても過去の実績を枕詞にして紹介してもらえます。(「○○オリンピック〇メダリストの○○さん」など。)
10年経とうが、20年経とうが、30年経とうが、その時点の競技レベルが当時のレベルをはるかに超えていようが、いつまでもいつまでも、自分が最も注目を浴びていた頃の肩書で扱ってもらえます。
それはとても安定していて、楽な選択だと思います。
それまでの苦労を考えれば、その後の人生でそれぐらいのリワードがあって当然だと考える人もいるかもしれません。

でも、宇野さんにはそんな生き方を選んでほしくない。
だって、宇野さんにしかできないことが山ほどあると思うから。

宇野さんは、その愛らしい容姿や謙虚な言動も相まって、多くのファンの心を掴んでいますし、これからもファンの気持ちが離れていくことはないでしょう。
それだけに、テレビの視聴率やネット記事のページビュー、雑誌の販売部数などを上げるために、メディアから宇野さんに「甘いお誘い」がたくさん来ると思います。
SNSに上げた何気ない投稿が記事になることもあると思います。
もちろん、テレビや雑誌やネット記事に出たり、SNSに投稿することは何の問題もないことです。
でも宇野さんは、それらを生業にすることで満足するような人ではないと思います。
自分が何をすれば満足するのか、納得するのか。他人に惑わされずに考える聡明さを持ち合わせている。
だからこそ、競技でこれだけの結果を残せたと思いますし、人々を魅了したんだと思います。
宇野昌磨第二章。それが大衆が目にする表舞台になる可能性もあれば、プライベートなものなる可能性もあります。
プライベートな選択をされた場合、僕たちの目に触れることはなくなると思いますが、宇野さんにとって素晴らしいものになってほしいなと思います。

その「生き方」に魅せられて

どんな分野でも、最終的に人を魅了するのは、その人の「生き方」ではないかと思っています。
僕自身、アスリートや歌手などでずっとファンでい続けている人がいますが、彼らの何が好きかと問われれば、やはり「生き方」という答えに行きつくんですよね。
最初はその人の演技や試合での結果、その人の容姿や歌が気に入ったことがきっかけであっても、段々とその裏にある「生き方」が見えてくると、最初の頃よりもっと魅力を感じるようになります。

スポーツでもエンタメでも、記録はいずれ途切れますし、いずれ誰かに抜かれます。
それでも引き続き応援されたり支持されるのは、他人に惑わされず、目先のことに固執せず、それでいて他者への敬意を持ち続ける。
そのようにして「自分軸」と「他者へのリスペクト」のバランスを両立させている人が、他人を魅了するし、そしてそれが、他でもない自分自身を満足させるための重要なファクターなのではないか。
宇野さんは、「自分軸」と「他者へのリスペクト」を見事に両立させて活躍した、稀有な選手だったと思います。

宇野さんを競技で観られなくなるのは寂しい思いもありますが、幸いなことに日本の男子シングルでは、トップレベルの選手が数多く育ってきています。鍵山優真選手、山本草太選手、三浦佳生選手、佐藤駿選手、中田璃士選手などなど。
日本の男子シングルの層がこれだけ厚くなったのは、近年では宇野選手の活躍によるところが大きいでしょう。
彼の活躍を多くの選手がお手本としたでしょうし、彼が枠取りに貢献したことで、多くの選手が国際大会での経験を積むことが出来ました。

まだまだ競技者として、トップクラスで戦い続けられると思う一方で、競技の世界で果たすべき役割を果たし切ったとも思います。

今後、宇野さんが、宇野さんにしかできない何かをしてくれることを、密かに期待しています。
それが何であったとしても、彼の人柄をもってすれば、きっと世の中にとって良いものをもたらしてくれるんじゃないかなと思います。
それは、何となくですが、優しさとか癒しとか面白さとか、そんな柔らかくて、人を包み込んでくれる、そんなもののような気がします。

長い長い競技生活、今終わったばかりです。
先ずは、体と心を休めて欲しいです。そこからの新たな宇野昌磨さんを、楽しみにしています。

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