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草野妙子「アリランの歌」白水社

アリランは峠の名前ではない。アリランとは韓国人の心の中にある峠である。著者は民俗音楽学者として世界中の伝統音楽に精通しており、中央アジア音楽との関連も指摘してあり興味深かった。特に市場を中心としたエネルギーの共有が音楽に及ぼした影響について言及があった点は共鳴できる。
半島という地理的運命はエネルギッシュな民族性を育み、韓国独特の「カラ(ク)」=創造的な音階と旋法を産み出した。その最たるものがパンソリであり、民俗楽の象徴である民謡アリランである。一般的に知られているアリランは本当のアリランではない。地方ごとに全く違うアリランが存在し、それぞれの「カラ(ク)」をもっている。民俗楽の合奏であるシナウィもしかりである。この根底があればこその韓国の歌なのだ。俺の人生を変えた韓国。韓国の歌。これからも探求していきたい。
<メモ>
・人々が音楽とは全く意識していない基層文化の中に音楽的な要素がある。
・往来の人々の声、市場の人々の声、行商人の鋏の打ち方、などすべてが繋がっている。
・労働歌としてのアリラン
・民族の身世打令(自分の嘆かわしい運命を物語風に唄うこと)
・カラ(ク):伝統的な音楽の個性的で創造的な旋律の動きについて語るときに使用されるもの
・カラクの骨格は音階と旋法
・「ユクチャべギ」南道ソリ
・労働歌としてのアリランを全国に広めた行商人・担い商人たちであった。
・行商人が集まる市場は交易の場であると同時に民衆の精神的活力を交換し合う空間。この空間で「場」=マダン・パンの芸能が発達した。放浪芸人が出没した。
・広大(クアンデ)は賤民階級だが公認の芸能者だった(仮面劇・杖太鼓奏者・歌手)。
・パンソリは韓国民衆の心のすべての表現である文学・音楽・演劇の要素を集大成した高度な技法をもつ芸能である。
・市場の活力は民衆すべてのエネルギー源であった。これは中国大陸など遊牧民的な民衆生活の根幹である。
・ハン五百年は江原道民謡だが、どこか追分節にも似ている。
※江陵の江と原州の原をとって江原道・農民生活に始まり、中央を追われた人々の生活まで、そして女達の悲しみを含めて生きる苦しみを味わった・人々の歴史そのものを語っているのがアリランなのだ。
・韓国の人々にとって詩の朗詠は民謡であり、ソリで心にしみこませるものだ。
・シナウィは全羅道や京畿道南部で行われてきた巫楽。ケンガリ、杖太鼓、ピリ、大琴、伽耶琴、コムンゴなどが自由に演奏するものだ。

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