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磯崎新「見立ての手法」鹿島出版会


副題は「日本的空間の読解」とある。アトリエ建築家として世界で活躍中の建築家による日本文化評論である。

ここではいくつかのキーワードで日本文化を語っているが、コアになってるのは時・空間の概念=「間」である。日本の芸術の本質はこれを抜きにしては理解不可能である。これを読解するということはどういうことか?筆者は以下のように述べている。

「対象に対して新たに投げかける視線によって、対象が逆に姿を変える。その挙句に送り返されてくる視線によって、こちら側も強制的に変更をせまられる。そんな視線の交錯を編集することを読解とよぶ」

自然を観照する視点から「見立て」が生まれている以上、日本の数々の芸術には必ずメタファーとしての「見立て」が介在しているというわけだ。例えば日本の庭園は海と島(須弥山)のメタファーと言う点で一致している。

<メモ 1>
ま(間)
日本語では時間と空間両方に使える。日本文化では西洋が三次元であるのに対して二次元の重なり合いによって事物が存在している。このま(間)のサブテーマとして「ひもろぎ(神籬)」「はし」「やみ」「すき」「うつろい」「うつしみ」「さび」「すさび」「みちゆき」を設定している。

はし
端・橋・箸・嘴・梯すべて「はし」と読めるが、結局「二つのものの間をかけわたすもの」という意味になる。昔、熊野は日本の南の「はし」だと思われ、その先にある神の国との境目であると思われていた。

くら
「くら」は発生的にくぼんだ地形を言った。ここに穀物を貯蔵したため、倉のもとになった。くぼみ地は同時に神が降臨する場所だったので、「くら」は神の座だった。

さび
霊魂が肉体から抜け出した状態が「さび」である。日本の中世では荒涼たる様、変懇している状態に美を見出してこれを「さび」と呼んだ。その根底には破壊願望が潜んでいた。

<メモ 2>
・丹下健三曰く「伝統を創造に導くにはそれをあえて破壊するような、ディアレクティクな統一が必要であり、桂離宮の魅力はまさにこの二つのエネルギーが衝突している中から生み出された」

・平城京は中国文化を日本的に読解し輸入したという点で、日本文化形成の原型であるといっていい。

・日本には虚諧といって、実際には聞こえていない音を感知して競演するものがあった。

・建築家白井晟一曰く「『書』は時代精神の象徴であったことはいうに及ばず、人間の正息であった。(中略)いわば人間的なドラマを演出する内容をもっていたのである」彼はコンピュータの館にわざわざ「否」の要素を盛り込んだ!近代化に「否」を持ち込む岡本太郎の息吹を感じる。

・建物は立ち上がった瞬間から廃墟に向かって歩みはじめる。

・日本を常に異国人・他者の眼で見ることで、本当の日本が見えてくる。

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