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後藤正浩「清冽」中央公論社


詩人茨木のり子の本格評伝である。「倚りかからず」「自分の感受性くらい」など凛とした詩を世に送り出した詩人として俺も感銘をうけた女性だ。


彼女は夫、三浦安信を失い、以降30余年寡婦として生きた。その中で多くの詩が生みだされている。著者は氏について以下のように語っている。

「茨木のり子を強い人といって差し支えあるまい。それは豪胆とか強靭とかいった部類の強さではなくて、終わりのない寂寥の日々を潜り抜けて生き抜く、耐えるつよさである。その資質はひょっとして、蓑をまとって通学した母達、雪国の人々の伝えるものであるのかもしれない。」

戦中、女学校の中隊長として号令をかけていたが、二十歳で敗戦、戦後自分が無知であったことを知って愕然とする。しかし、その挫折が氏を強くしたのだと著者は分析している。

特に金子光晴という戦前から国家に「ノー」を叩きつけていた反骨精神あふれる詩によって、氏の作品に命が吹き込まれた。その後、感受性を重んじる「櫂」のメンバーである谷川俊太郎、大岡信、川崎洋などの詩人達など多くの仲間に恵まれ、詩魂が研ぎ澄まされていった。

戦後、戦争責任者である天皇の心なき言葉を見過ごす日本人の感覚と、A級戦犯を首相に選ぶ、歴史に学ばない一般大衆の曖昧さ、移ろいやすさを容赦なく糾弾していった。その対象は天皇、国歌など正面きって人々が踏み込まない領域だ。

俺はこの時代に茨木のり子のような魂がなくてはならないと考える。混迷の時代であるからこそ、凛として立つことが要求されるのだ。大切にしたい1冊だ。

<メモ>
・「青春は美しい」というのはそこを通りすぎてから気がつくものだ。

・「初々しさが大切なの 人に対しても世の中に対しても人を人とも思わなくなった時 堕落が始まるのね 堕ちていくのを隠そうとしても 隠せなくなった人を何人もみました・・(中略)全ての良い仕事の核には震える弱いアンテナが隠されている きっと・・」

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