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何も恐くなかったあの頃

かなと週末過ごした私の住むアパートで、まるでかぐや姫の「神田川」の世界が展開された。
よく指摘されているのは、神田川の作詞喜多條忠は本当は同棲経験が無いのではないかということだ。
それは銭湯に一緒に行って待たされるのは、実際はたいてい男の方だからだ。
私の場合もそうだったが、しかし、歌詞の男女を逆にすればまるっきり情緒を失ってしまう。
作者の経験云々では無くて、銭湯帰りの優しさに包まれた情景を描けるかどうかだと思う。

私にはその優しい情景にふさわしくないものをいつも履いていた。
私は真冬以外はたいがい下駄をふだん愛用していたのだ。
かまやつひろしの「我が良き友よ」が流行っていた頃で、悪友のリュウジと競うように履いていた。

  下駄を鳴らして 奴が来る 腰に手ぬぐいぶら下げて

その歌を口ずさみながら高校生の頃から愛用していた下駄は、大学に入っても変わらなかった。
学校にも履いていて行って、滑る床で尻餅をついたこともある。
かなとデートする時にも、普通に履いていた。
下駄の歯がすり減ってしまい、大学では同級生の女子から「それは下駄や無い、板ヤン」と突っ込まれたこともある。
そういわれながらでも、下駄は割れたり、鼻緒がちぎれるまで履き続けていた。

「<白昼夢> 銭湯通い」
一緒に風呂屋行ったん 憶えトゥ?
下駄履いて階段で音立てるんで 私が先に降りて 待ってたでしょ
大屋さんがおまえに気がついたらまずいんでな。
そうよ 音させないよう そ~と降りたわ
それより、出る時間を言うとったのに 俺がいっつも待たされたヤン
我慢できずに 早く出たんはあんたでしょ 
星がきれかったな ふたり手つないで歩いたな。
下駄の音に合わせて 歌ったわね
ちょっと おまえ外れとったけど かわいらしい声やったな
もう~

また、「神田川」では恋人の似顔絵をクレパスで描くのだが、私はかなの美しい体全体をボールペンでレポート用紙の裏に描いた。
私は小学校の時に絵を習っていて、絵を描くのが好きだったが、デッサンは下手だった。
顔を似せることはあえてせず、本当はかなの目は切れ長なのだが、アーモンドアイにした。
そして、できあがった絵は自分でも気に入ったし、かなも満更ではなかったので、アパートの壁に貼っていた。
私のアパートは広いので、同じ人類学科の仲間や教員がよく集まった。
私は何も考えずその絵をずっと張ったままにしていた。
それを見つけた友人のアキラが、教員や学生がいる中で褒めだした。
彼にはベース以外に絵の才能があって、私の絵を気に入ってくれたのだ。
そこにはかなもいたのでまずいと思ったが、下手に取り繕うと却って事が大きくなるので黙っていた。
ただ、私たちの関係は公然のことだったので、暗黙に誰がモデルかは分かっていて、誰もモデルに関しては触れずにいてくれた。

「神田川」の歌詞通り私たちふたりは何も怖くなかった。
かなが恐かったのはたぶん私の優しさよりも、自分勝手な気ままさだったと思う。
もっと優しくしてたら、きっとかなは喜んでくれたと思う。
もしこの歌の「優しさを」を「気ままさ」にすれば、優しさだけの暮らしがいかに脆いかということが表現できないが・・・・


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