見出し画像

【9000字くらい】海 笛 最初の存在【私とわたしは似て非なる】

海 笛 最初の存在 (悲しい恋)

山々が連なる空中都市の一角。かつて栄華を極めた姿は今の光景からは想像もできない。折れた柱の断面にはココペリが腰をかけ、笛を吹いている。ピポパポ、パポピペ。生きとし生けるものはこの笛を聞くと幸せがやってくると信じている。その音色は儚く、そして優しく響いている。壊れた石造りの建物は、何者かとの戦火により破壊されてしまったのだろう。月明かりによるその印影は地面に映されるも、それが建物の一部とは到底理解できない。むしろ草木や樹木といった自然が生み出したであろう影でしかなかった。ココペリがその光景を見下ろしながらピィプゥとビブラートを効かせて笛を響かせる。その音色を瓦礫の陰から聴く者がいることにココペリは気づいていない。かつて生き、愛し合って死んでいった者達と小さな命に捧げる笛の音。死してなお愛する人がいる人間に向ける音色。泣き虫なココペリの瞳から涙が流れた。

今日も空は青く澄み渡り、頑丈な石造りの建物が並ぶ。街は喧騒もあり人間の往来も多い。街中では子供が元気に走り回り、女性が家事をしながらその姿を優しく見守っている。男性は狩りに出たり、畑を耕したりしているからか、この時間にそれほど姿は見当たらなかった。日が登れば人々が動き出し、日が暮れれば眠りにつく。自然の摂理に倣うように生きてはいるが、洗練された文化や高度な天文学を持ち合わせており、強力で裕福な帝国の1日がそこにあった。

空中都市のはずれ。小高い丘の大きな岩に1人の女性が腰掛けている。神と崇められている太陽は少しずつ傾きを大きくし、目が潰れるほどまで青かった空が橙に染まっていく。眼下に広がる山々も同様で、そんな幻想的な風景を見下ろすのが女性は好きだった。岩に腰掛けダランと垂らした足を右脚左脚とパタパタと蹴る。生糸で編まれた鞄から小さな縦笛を取り出し、その先に小さな薄い唇を当てる。口からホゥと息を吸い込み優しく息を吹き込む。縦笛の穴を開けたり閉じたりして音色を奏でた。優しさと儚さがこもった音は、女性の人となりが込められ、夜へと歩いていく高い空に鳴り響いた。

いつになったら彼はやってくるのだろう。そう思っているうちに一曲演奏し終わってしまった。男達は朝方狩りに出かけたからもう帰ってきていてもいいはずだ。しかしまだ彼は姿を現していない。もしかしたら?何となく不吉な予感が過ぎる。その気持ちを打ち消すよう、次の曲を弾こうかと思ったのに、暴走し始めた想像力のせいで呼吸が浅くなり思うように息が続かない。ここ最近では明らかに自分達とは異なる姿をした人間達が近隣の村々を襲っているらしい。不安が不安を呼び、急な寒気を感じて自分自身を抱きしめるも、大して暖かいとも感じられないし、気持ちが静まることも無かった。

街の方が少しざわついている。ガヤガヤ、ワーワーと歓声が聞こえてくる。どうやら男達が帰ってきたらしい。浅くなった呼吸が急に吸い込みやすくなった。安心した事で急に冷静になる。少しの時間、いつもよりあの人の帰りが遅くなった事で私の心はこれほどまでに乱れてしまう。私は常に危険と隣り合わせで生きていく彼を愛し続ける器量があるのだろうか?深く息が吸えるようになったお陰で、縦笛に吹き込む息が安定するも、奏でた音色は私自身の心の有り様を現していた。悔し紛れに縦笛を強く握りしめると、一度だけ奥歯を噛み締める。自らに向かった怒りを飼い慣らすのはいつの時も不快だった。それでも私はその私と付き合っていかないといけない。ため息が漏れる。それでも早くあなたに会いたいと思った。

弱い自分に嫌気がさして、自然と縦笛を奏でる指が短調の運びになる。涙がポタリと手の甲に落ちた。太陽がもうすぐ顔を隠し、この世界を照らすのを月に任せようかという頃、サクサクと地面を踏みしめる音が耳に届く。振り向くとあなたがそこにいた。麻を紡いで結われた衣服が少しだけ汚れている。「ただいま」顔全部をクシャリとさせてあなたは微笑む。「おかえりなさい」私は腰掛けていた岩から、水を得た魚のように滑り降りると、あなたの元へと走る。正面で立ち止まるはずだったのに、草に脚を取られ偶然にもあなたの腕の中へ飛び込む形となった。決して他の男達のように筋骨隆々というわけではないが、出会った頃から少しずつ厚くなる胸板に、帝国に生きる男として成長していっているんだと思った。

私の背中をトントンと叩きながら「どうして泣いているんだい?」とあなたが問う。私は少しだけ沈黙した後「もしかしたら、いつか無事に帰って来られない日が来るんじゃないかと思ったの」主語はつけず、誰がとも言わない。弱い私自身を隠す為にはこれくらいしか術がなかった。そして再び沈黙が生まれる。少しの間、山々を駆け抜ける風の音が響いたが、やがてピタリとその風が止む。それを良い機会と思ったのか、あなたは口を開いた。「君の泣き虫はずっと変わらない。あと弱かった頃の僕の事ばかり覚えている」照れているのか悲しそうにしているのか。笑っている様には見えるけれどどこか寂しそうなのは、私が敢えてつけなかった主語が誰のことかがわかっているからだと思う。

抱きしめられている体を両手で突き放し「今日の狩りはどうだったの?」あなたの前でくるりと体を翻し話を逸らそうと私は聞く。あなたの表情が見えないように。「みんなが帰ってきた時、街の方がとても賑わっていたわ?きっと大きな獲物が取れたんでしょうね?」あなたの帰りを待つ私が狩りの話を聞いた所で何もわからないし、人間と動物の生と死の狭間のやりとりに私は耐えられそうにない。それなのにあなたの悲しげな笑顔が怖くて無理矢理話し続ける。「狩りってどうやってするの?弓矢を番うんでしょう?誰かが囮になるの?みんなで獲物を取り囲むの?」血が流れて肉がはみ出る。生きているモノが死に絶えて行く。生きる為に死んでいく。いつ誰がそうなるかわからない。明日はあなたの番かと思うと、すぐ後ろにいて不安などないはずなのに、何故か虚な心地がした。

いつもそうだ。どんな時も私は不安を探している。そこらじゅうに落ちている不安を見つけては、両の掌で大切そうに拾い上げ、自ら胸に染み込ませて行く。私という器が黒く濁っていけばいくほど、誰かを頼らずして生きていけない自分自身を許せる気がするから。けれどあなたが私の求める不安になってしまうと私は私でいられなくなる。それなのに、あなたに関する不安は夥しく、累々としている。自分を赦し生きていくための不安と、自らを蔑む事になる不安。同じ不安でもこれほどまで違うことがあるんだと自覚する。そしてどちらも差し迫って感じる必要のない事柄だというのに、私の心を捉えて放さない。また涙が溢れそうになる。あなたにそれを感じさせることのないよう、鼻を啜るのを控えめにする。

「今日は死ぬにはいい日だ」あなたがボソリと呟く。私はその言葉が本当にあなたの口から出た言葉なのかを確かめたくなって、背中を向けていた体をあなたの正面に向けると、その瞬間にあなたの温もりに私は包まれた。背中に回された腕が暖かい。胸元に顔が埋まり、あなたの温もりを感じている。私は片腕をおずおずとあなたの背中に回す。本当は力一杯抱きしめたいはずなのに、あなたの温もりに体が強張ってしまった。「僕たちはね。街を出る時にみんなで鬨をあげるんだ。今日は死ぬには良い日だ。って」私の髪を撫でながらあなたはそう言った。「死ぬには良い日って一体どういう事?」どこか遠くでピプポポペピと笛の音が聞こえた気がする。

「僕達のご先祖様の言葉だよ。僕達はいつ命を落とすかわからない。でもね。僕は今生きている。そして、自然を感じて、君が奏でる音楽だって聴くことができる。惚れ惚れするほどの青い空の下で。そしていつでも守りたい人達のために生きて、死んでいける。だから僕達は言うんだ。今日は死ぬには良い日だ。って」普段からあまり多くを語らない口下手なあなたが何とか私にその意味を伝えようとしてくれているのだろう。私を置いて、随分と強く成長してしまったことが悲しく、あまりに幼い私自身に恥ずかしくなった。「本当に死ぬのにはいい日だと思っているの?」成長してしまったあなたの思考回路に矛盾がないのかを確かめたくて、念を押すように問いかける。「そんなわけないだろう?怖くて怖くて仕方がないよ。いい日だなんて思った事はないし、大切な人とはずっと一緒に生きていきたいと思っているよ」その返答を聞いて安心しかけるも、あなたが継いだ言葉に私は己の浅はかさを知ることとなる。「死にたくないと嘆くことが悪いことだとは思わない。しかしだ。僕がそう嘆いてしまって、狩りをせず食料を得る事ができなければ、誰かが飢えて死んでしまう可能性だってあるわけだ。そこに僕の存在意義はあると言えるんだろうか」ああそうか。あなたは私と同じくらいの時間を生きてきたというのに。生きる意味を見つけたということか。

言葉が継げなくなった。あなたに抱きしめられながら私は下を向いている。そうするとあなたは少しだけ体を離すと私の顔を強引に上に向け、唇に唇を重ねる。どういうことなのか理解できずにいると、口の中に舌が滑り込んできた。これまで知ることのなかった感触に戸惑うも、なぜか心地よく感じる感覚があった。私が私でなくなっていく。意思と肉体は私のはずなのに。乖離していく意識が奔放に私を覆っていく。後頭部に手を添えられ、背に回された腕できつく抱きしめられると、思わず声が漏れてしまう。あなたと私の荒い呼吸の間に、お互いに唇や舌を吸う音が鳴る。音という見方をすれば私の縦笛が奏でる音色と同じはずなのに、なぜかとても甘美に感じた。もっと。もっとあなたが欲しいの。舌を突き出し絡めていく。ピピププポーとまた遠くで笛の音が聞こえる。そんな行為を繰り返していくうちに私の目からは涙が溢れていた。それに気づいたあなたは唇を離す。お互いの唾液が糸を引き私の口元からだらしなく垂れていた。きっと、蕩けた表情を浮かべているだろう。頬が上気し浅く呼吸をする。あなたに見つめられて泣いている私が、身じろぎをした時、わたしが泣いていることに気づく。

私は先程まで腰掛けていた岩を背にして、あなたが私の体を弄るのを受け入れている。両の胸を鷲掴まれるとそれほど大きいわけではない胸が鈍く痛んだ。あなたの鼻息や吐息が荒い。身体中を乱暴に触れてくることが少し恐ろしく感じる。耳や首筋には舌が這いずり回り、唇に吸いつかれて、無理矢理舌を捩じ込まれる。その場で衣服を剥ぎ取られると、あなたは私の前に跪いて乳首を口に含んだ。これまで味わった事のない感覚が頭から足の先へと駆け巡っていく。口に含んでいた乳首を離すと、そのまま私の下半身へとあなたは降りていく。ああ、わたしが泣いている。あなたは涙に濡れたわたしに舌を這わせてくる。さっき感じた感覚とはまた違うくすぐったいような、気持ちいいような、なんとも言えない感覚に私は包み込まれる。徐々に立ってはいられないほどの快感が込み上げてくる。両脚に力が入らず、上半身を折り曲げてあなたの肩と頭に両手を置いた。絶えずわたしは涙を舐めとられているから手には信じられないほどの力が込こもり、あなたに触れている場所に所構わず爪を立てる。すると、わたしの涙が溢れる源泉を吸い上げていたあなたが立ち上がった。呼吸がままならないほどの口づけが再び始まる。甘く流れ込む唾液と、別の生き物のように蠢く舌に脳が痺れる感覚を覚える。あなたの指がわたしに触れた。唇や舌とは違う、少し鋭い刺激に私は声を上げ、わたしはさらに涙を流す。触れて欲しい、もっと触れて欲しいとあなたの指にわたしを押し付け、腰をくねらせる。その間も口づけは続いていた。

あなたは、わたしを優しく時に激しく攻め立てる手を引いた。そして私の脚を開かせると、腰を落とし性器を強引にわたしの中に押し込んでくる。濡れそぼった隘路はいとも簡単にあなたを奥まで誘う。このままどこまでも私の奥深くで迷い混んでいって欲しいという様に。押し潰される感覚に加えて、痛みがあった。痛いという声も出た。しかし、自分の体に初めて異物が入った感覚としては満たされている気がする。お腹の深い所であなたが脈動しているのを感じると、下腹部がジンと熱くなり、わたしがまた泣き始めた。抽送が始まる。それほど大きくはない私のお尻を乱暴に掴み、あなたは奥へ奥へと進もうとする。その動きに合わせて私の呼吸は寸切れになり、意図せずに漏れる声が喘ぎとなる。苦しい、痛い。ただ、それだけじゃなかった。必死に腰を打ちつけるあなたは下を向いており、その表情はわからない。私はあなたの顔に両手を伸ばし、表情を窺い見ようと力を込める。しかしあなたは顔を見せる事を拒んでいるのか、一向に私と視線が交錯する事はない。「どうして?」痛みと喘ぎでうまく声が出せない中、やっとの事であなたにそう問いかけた。あなたは忙しなく動き続ける事に疲れたのか、動きを一度止めると荒い呼吸を継ぎながら肩を大きく上下させる。呼吸を整えながら、あなたが顔を上げると、その目には流れないのが不思議に思える程の涙が溜まっていた。やっと私とあなたの視線が交わる。その瞬間あなたの目からは涙が音も無く流れた。

「今日は死ぬにはいい日だ」あなたがそう呟くと、突然の涙に驚いていた私も「今日は死ぬにはいい日かもしれないね」と答える。パポパポ、ピピピィ。どこか調子外れの笛の音が響く。私達は月明かりに照らされる。私が背にしているのは大きな岩だけれど、あなたの後ろには満点の星空が広がり、月明かりに反射した涙はどの星よりも美しい気がした。あなたと私は繋がったまま微笑み合っている。「もう少し優しくしてくれてもいいんじゃない?…何かあったの?」あなたからこれまで与えられることがなかった力をこの身に受け、疑問、恋慕、猜疑、恐怖といった感情が、慌ただしく私を通り過ぎていった。しかしあなたが涙を流したことで、何か理由があったのだと確信する。しばらくの間沈黙が続き、あなたはわたしの中から性器を抜き地面に跪く。風がなびく音が止んだ時あなたは口を開いた。
「今日の狩りで、兄のように慕っていた人が死んだ」あなたが何を言っているのかが理解できなかった。「持ち帰った獲物の大きな角に彼は貫抜かれたんだよ。正面から突っ込んでくる獲物の動きを止めるため、あと。僕を。守るために」あなたは下を向き泣きながら話し続ける。地面にポツポツと涙が落ちていた。私は何て事を聞いてしまったんだろう。あなたを抱きしめ、髪を撫でながら頬に頬を当てるも、時は戻ることなくすでに遅い、慚愧の念に堪えなかった。「僕と彼が、偶然囮になる形になった。でも僕はただ守られただけだった。そして獲物が彼に角を突き立て天に吠えた所をみんなが仕留めた。血や内臓が。彼のものなのか、獲物のモノなのかがわからなくなった。それなのに、獲物にトドメが刺された後、彼はまだ生きていたんだ。体の真ん中に穴が空いて。地面が見えているというのに…!それから彼は僕にケガは無かったかと聞いたんだ。頷く事しかできなかったよ。そして彼は笑顔を浮かべて『今日は死ぬにはいい日だ』と言った。その瞬間、彼の瞳からは命の火が消えた。僕は。あまりに無力だ」あなたは頭を抱え髪を掻き乱し捲し立てる。

私は何も言わない。いや、何も言えなかった。死を目前にしたあなたは、きっと新たな生を産み出す行為や、わたしと繋がる温もり、そして私という生を感じることに縋りたかったんだと思う。兄と慕った人間が冷たくなっていく。その感情を私は知らないけれど…。もし私と繋がることであなたが生を感じることができるならば。私はあなたのぬくもりになりたいと思った。そしてあなたが私に向ける感情の全てを私が受け止めてみせよう。もしあなたが何かを掴もうと、無我夢中で虚空に向かって両腕を伸ばし踠くのならば、その両腕をとり、大丈夫だと包み込んでやる。あなたの為に生きよう。あなたが今日失ったものに代わることはできないけれど、寄り添って生きる事はできる。目の前で小さく項垂れるあなたにそっと近寄り抱きしめる。広くなった背中の中心をリズミカルにトントンと掌で打つ。頭を抱えると瞼に手を添え、涙を溢し続けた瞳に手の温もりを込めた。「大丈夫だよ」これほどまでに近くにいるあなたにも、きっと聞こえないくらいの声で伝える。私の声は届いただろうか?あなたがコクリと頷いた様な気がするが、それが事実かどうかはわからなかった。

幾らかの時間をそうやって過ごしていた。あなたは溜め込んだ自分への毒を吐き出した事で少し落ち着きを取り戻したのだろう。抱えられた顔を動かし、私の胸元に頬を埋める。私達は先ほどとは比べられないほどに穏やかに抱き締め合った。お互いが、お互いの存在を赦している。パピプペプププと優しい笛の音が響く。先ほどから時々聞こえてくる音色は、私達が使う笛とは異なる音がする。あなたは少し照れたように顔を上げると、鼻声で「あぁ、きっとココペリの笛だ」と言った。「あの幸せを運んでくれるっていう妖精のココペリ?」私とあなたの視線が交わる。あなたはニヤリと笑ってコクリと頷いた。「私達が幸せになるってことかしら?」あなたの顔が少しずつ近づいてきた。「きっとそうだよ」あなたがボソリと呟くと、吐息を感じ唇と唇が重なった。先ほどとは違う。お互いを慈しみながら、体や言葉で愛しているを伝える。あなたをわたしの奥深くで受け止めたとき、私は『今日は死ぬにはいい日だ』そう思った。

それから幾日かが過ぎた頃、空中都市は滅びることになる。海の向こうからからきた何者かが、帝国を慈悲のかけらもなく蹂躙していった。所々では火の海が広がる。都市の人々は見たことのない動物に跨り、見たことの無い武器を使う侵略者に為す術もなかった。そしてあの町外れで愛し合った2人も例外なく巻き込まれた。自分達の最後の瞬間に2人は何を思い、誰を想ったのだろうか?栄華を極めた帝国は一瞬にして崩壊し、歴史からその姿を消したのだった。

周囲を見渡すことができる折れた柱があった。その断面に腰掛けたココペリが笛を吹いている。ピポパポ、パポピペ、ピィプゥと。ココペリは若い人間2人が心から結ばれたあの日から笛を吹き続けている。2人に幸せが訪れるようにと。しかし、その音色は無力だった。妖精のくせに涙を流している。人間の為に涙を流すなんてお人好しが過ぎると思ってはいるが、それでも涙は止まってくれない。2人が死んでしまってから毎日、涙を流しながらココペリは笛を吹き続けた。一瞬でも激しく、美しく愛し合った2人に捧げる笛を。もしかしたらいつか、2人が幸せになれる日が来るかもしれないと思いながら。

今日はなぜだか分からないが、いつもよりも笛の音が高く響いている気がする。いや、どうやら気の所為ではないようで、大気が震えているんだと認識した。大地の奥の奥から徐々にズズズと大きく突き上げてくる揺れを感じる。ココペリは体に力を込め、腰掛けた柱から落ちないように踏ん張るも、あまりの揺れの大きさに転がり落ちてしまう。空中都市が存在したこの場所は、この地震による隆起で、また少し高い位置にその残骸を残す事になった。瓦礫や所々にかろうじて形を成している建物からカラカラ、パラパラと埃や、小石が落ちる。少しずつ揺れが治まり、完全に揺れが止まったなぁ、と思っていると、コツンとココペリの頭に小石が落ちた。涙目になりながら頭を抑え、もう落ちてくるものは無いかと頭上を見上げる。するとそこには、先ほどの地震が、空に広がる満点の星の海を揺らしたのか、空から地上へと星が降り注いでいる。これほどまでに沢山の流れ星は妖精のココペリですら見たことがない。星が流れ、落ちてくるたびにココペリの顔が照らされる。この美しい景色はいつまで続くのだろう。そんな事を想いながら、ピポパポと高らかに、流れ星の五線譜をめがけて、ココペリは幸せの音色を奏で続けてた。

指の赴くがままに奏で続け、それが一篇の曲になろうとした時、ココペリは何かの気配を背後に感じる。知らない気配ではない。知っている。本当にそうなのだろうかとゆっくり振り返ると、そこにはココペリが幸せを願いながらも、あの日死んでしまったはずの2人が立っていた。青年は小さな赤ん坊を抱えていて、その横では女性が青年に抱かれている赤ん坊を擽っている。まさかと思った。ココペリは驚いて笛をポロリと落としてしまった。すると青年は赤ん坊を抱いたまま、器用にココペリが落とした笛を拾い上げる。ふにゃふにゃ言葉にならない言葉を赤ん坊が発しているが、それを気にせず拾った笛を差し出しながら言葉を添えた。『君だね。ずっと笛を吹いてくれていたのは』ココペリはポカンとしたまま動くことができなかった。

『どうやら僕達は、何の因果かわからないが、この場所に戻って来られたらしい。僕は気づいたらこの近くの岩場に座っていた。どうしてここにいるんだろう?と思っていたら笛の音が聞こえてきたんだ。君が吹いていた笛だったよ。その音の方を辿っていく途中で、彼女と再会したんだ。驚いたよ。僕も死んでしまっているし、2度と彼女に会う事なんてできないと思っていたし…それにさ、僕にそっくりな赤ん坊を抱いているんだから。こんな奇跡があるとは思わなかった』青年はそう言うと、ケラケラと笑い声を上げる。そして少し神妙な顔つきになった。『でも多分、ずっとここにいられるって事はないと思う。なんていうか、感覚的にそんな感じがする。多分君が吹いてくれていた笛のおかげなんじゃないかな。またここに戻ってきて、また彼女に会えるだなんてさ。それに赤ん坊つきで』ココペリは考える。自分たちが笛を吹くことで人間は幸せになると言われている。だからおいそれと笛を吹くのではなく、幸せになって欲しいと思う人間のために吹きなさいと教えられた。しかしココペリはこの2人、いや3人を幸せにできたとは思っていない。何故だろう?ただの偶然なのだろうか?そう思っていると女性がポツリと呟いた。『私、今とても幸せよ?』青年もその言葉を聞いて口角を上げる。赤ん坊もふやふやと声を上げた。2人は驚き赤ん坊を見る。手足をバタつかせるその姿は、プクプクとしていて愛らしい。そして、どちらかとなく顔を上げると視線が交わり、互いに目尻を下げて優しく微笑み合ったのだった。

ココペリは理解する。届いた。自分が幸せを願って吹いた笛は『今』やっと届いたという事を。ポロポロと涙をこぼす。『ありがとう』2人は口を揃えて感謝を伝え、我が子のようにココペリを抱きしめる。とても。とても温かかった。

『今日は死ぬにはいい日だ』

誰が言ったのか、そう思ったのか。誰も確認をすることは無かったが、その場に居るものがその想いを共有したことは間違いない。

赤ん坊か嬉しそうに『あうぅ』と声を上げ、夜空に向かって手を伸ばすと、空から落ちてくる星の中に一際大きな星が輝きを放って消えていった。

終わり

©︎yasu2023


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?