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美人といわれた祖母の追憶

「あんなべっぴんさん見たことがない」「綺麗な人だった」
「明るい働き者だった」「芯が強くて優しい美人さんだった」
誰もが異口同音に称賛する若き日の祖母
しかし、残念なことに、私と血の繋がりはない。

 
祖母はどこか北の地方の田舎町の生まれ
そこへたびたび行商に来ていた祖父に見染められたそうだ。
 
祖父は「飲む打つ買う」の三拍子の男。こちらも誰もが口を揃えて言う。
山師、商才がある、口八丁手八丁、守銭奴・・・
悪評高きよそ者の男に、若い祖母は買われるようにして嫁いだそうだ。
二人の間に子供はできず。祖父方の親戚から養子をとることになった。
幼い二人の娘をかかえお腹に末の子を宿して未亡人になった女性から。
 
~海辺の町から引っ越した後、
 私はこの未亡人を母方の祖母「おばあちゃん」と呼ぶようになるのだが、
 それはまだまだ先の話になる~
 
 
出産後お腹の子は祖父母の元へ引き取られると話が即決したそうだ。
おそらく祖母を嫁にしたのと同様に金で赤ん坊を買ったのだろうと容易に想像がつく。母の口からそう語られることはなかったけれど。
臨月を迎え 女性は無事に女児を出産。
赤ん坊に初乳を吸わせる暇もゆるされず、即、養子縁組先の祖母の手元に届けられ、我が子として大切に育てらることになった。
 ~その赤ん坊が成人して父と結婚し私の母親になる~
 
その頃、祖父は織物業で財を成し工場続きの大きな屋敷を構えていた。
 
 ~その邸宅は後に親戚の手に渡るのだが、
 小学生の頃、葬儀でその家を訪ねた事がある。
 通夜の晩、たくさんの座敷が連なる一室に家族で泊った。
 「お母さんはこの家で育ったんだよ」布団を並べて寝ている時、
 母が懐かしそうにそう言った。旅館のような立派な欄間を見上げながら
 「どうしてこの家は私の家にならなかったんだろう、
  こんな家に住めたら 良かったのに」
 幼心にそう思った記憶が鮮明に残っている。
 当時の我が家は、遠い海辺の町から引っ越して狭い団地暮らしだった~
 
 

美人の誉れ高い働き者の嫁をもらい、かわいい赤ん坊も手に入れて
大きな屋敷に住み込みの従業員を何人も抱えて工場経営
順風満帆 祖父は人生の勝ち組 成功者 そう思われたのも束の間の夢
 
「飲む打つ買うの三拍子の病が」一家の暮らしに影を落とし始めた。
賭博場のような所に出入りして罠に嵌められたのか、美人局か 
破滅への道はいくらだって考えつく。
その筋の強面な男たちが、連日借金の取り立てに訪れるようになった。
玄関先で対応したのは気丈な祖母だったそうだ。
脅しに屈せず凛として対応、涙も狼狽する姿も周囲の者に見せなかったと。

当事者である祖父は?いったいどうしていたのか?
借金の取り立てが相次ぐようになると、いの一番に雲隠れ 
遠いよその土地へ「行商、商談」と称して 妻と幼い娘を置いて、
単身で逃げおおせてしまったそうだ。
 
それでも秘密裏に連絡を取り合っていたのだろう
ある日突然、迎えの者だと名乗るトラックが来て、夜逃げ同然に母と祖母も祖父のもとに運ばれ合流したそうだ。
 
 
守銭奴の祖父は妻より娘より先に 何より大事な金を持って逃走したのだろう。
その金あればこそ、東北のある城下町で心機一転 
一家は見知らぬ土地で不自由のない暮らしを始められたのだろうが、
ひとりの女として妻として、どす黒い粘液を浴びせらたような 
何とも言えない暗い気持ちになる。
私の心の奥底にある、男性への不信感、不快感~それは祖父に起因するところが大きいのだろうと、ここまで書き出してみて いま始めて思い至った。
それと同時に気がついた。
男性に対するそんな負の感情を「そんな男ばかりじゃない」と打ち消してくれたのは、祖父とは真逆な人柄の父の存在だったかもしれない、と。

だから、次に記憶を辿って私の父の話を書こうと思う。

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