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まあ太のぼうけんつづきその2

まあ太とカラス天狗は、ずんずん南東へ向かいました。カラス天狗はずいぶん上の方をくるくる回転しながら飛んでいます。
右へ飛んだり左へ曲がったり。ああ。これが翼を持つ生き物の奔放さか。とまあ太はしきりに感心し、豆粒くらいになったカラスをずっと眺めながら歩いておりました。すると
「ドカ!」とにぶい音がしてからだがぐにゃりとなりそのまま吹き飛んで大の字になって倒れ込みました。
全身の疼痛と気だるさに身動きがとれず、しかし頭の中は回っておりさてどうなったんだと困ってしまいました。
頭の上には道祖神がおります。
するとばたばたと音がして「どうすんだよこれ。」「おい!バンパーへこんだぞ。」などと声が聞こえてはて。これは自動車というものにハジかれたか。と、まあ太はここで初めて気づきました。

 ところでなぜここで「自動車というもの」とまあ太が思ったかというと、今世紀では「自動車」と呼べるものは非常に高価で珍しく、まあ太の村にも「軽トラック」やおんぼろの「バス」はあるにはあるのですが、ネットテレビで見ているような大都会をびゅんびゅん走る最新型の自動車を見るのはこれが初めてだったからです。
これはまあ太にとっては手痛い経験となりました。しかしそれと同時に非常に貴重な体験になったと一族に語るのはもっとずっと先のことです。

 まあ太の意識がモウロウとして何もかも面倒くさくなった時、ゴルフクラブを持って自動車から出てきた一味がまあ太の方に近づき「ああ。あとは保険屋の話しだから。」と言い放ったそのときです。

まあ太を取り囲む一味の、その自動車の背後から道祖神の四倍もあろう大きな白い犬が飛び上がり、一味のひとりののどぶえに喰らいつきそのまま反転し「ぽい」と投げ捨てました。飛んで行ったひとりが地面に墜落するかしないかのうちに、白い大犬はほかの3人に頭突きをくらわし、足を噛みちぎり両手首を切り落としました。ゴルフクラブはいつのまにかひん曲がっていました。まあ太がわけがわからずぼんやりしていると、その白い大犬はなにやら人の言葉をぶつぶつと低いこもったような声で話し始めました。
「自動車は・・・生意気だ。我が物顔で野を走り、一族を蹂躙しこの俺の右足まで奪った。古来より我々と人間は遊び戯れ狩りをし、夜は一緒に眠った間柄だと太祖より語り継がれていたが・・・。あのざまは何だ。頭の悪い猿以下だ!」
しかしこの俺に樫の木の前足をこさえてくれたのもまた人間。ここはひとつこの若者に尋ねてみようではないか。」
まあ太がよくみるとこの大犬は隻眼(片方の目がないこと)でした。けれども相当な体術の使い手であると見てとれました。なぜならふつうの人でも片目をつむるとうまく歩くことすら難しいからです。

「おいぼうず!なぜ我等は肉しか食えんのだ!」

このころになるとまあ太は、後頭部を打ったためのふらつきもなんとか消え座り込めるようになりカラス天狗は全然役に立ってないや。ああ自分が上を見て歩いていたのが悪いのか。などと考えられるようになりました。自動車が運良く直撃しなかったためでしょうか。

犬の問いかけもながらで聞いていたのですが、大犬の言葉がいちいち古めかしく何で右足が木なんだ。ということばかりに気を取られていたので、低く「あー。」とだけ声を出すのが精一杯でした。すると犬は「そうか所詮我等は畜生。これが四つ足の業というものか。」とひとりで合点し、何度もあたまを縦に振っていました。

まあ太は「きっとこいつは腹が減っているに違いない。空腹と睡眠不足は余計なことばかり頭に浮かぶ・・・。」というおっ母の言葉を思い出し袋の中のそば団子のなるべく大きめのやつを2つ取り出して犬にやりました。
大犬はぱくりとそれを平らげると急にのんきな目つきになり「ああ。これが昔懐かしい雑穀の味。」と言うとしっかり噛みしめてごくりと飲み込みました。

まあ太は昔から犬猫はよく面倒を見る方で、学校で動物係などをしており、それが好きでもあったため大犬のあたまを撫でておりますと大犬の方もさっきまであった怒気も消え失せ腹まで撫でよと寝転び、ころころと時が経つのも忘れて小一時間程遊んでおりました。

すると犬は「はっ。」と我に帰り、深々と頭を下げ「あのなすがままに。」とだけ言いまあ太をせなかに乗せました。

ちまみれの あるじをせなかにかつぎつつ
つきよをあるくけものいっぴき

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