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25歳が考えるトランスジェンダー問題


皆さんはトランスについて考えたことがありますか?

今社会的に問題になってますね


ちなみに私は中学時代から考えてました
考えたのは中学生の頃で
行動としては幼稚園の頃からあったように思います


幼稚園の頃からブロック遊びが好きで、たまたま男の子とばかり遊んでました
女の子とお母さんごっこもしてましたが、親曰く男の子とばかり遊んでいたそうです
ある日女の子座りがしんどいのであぐらをかいたら幼稚園の先生に
「女の子はスカートを履いているのだからだめ!」と叱られました
制服がスカートなのだから仕方ないのに。女の子は幼稚園でスカートを履かなければいけない。その当たり前のせいで女の子座りや三角座りを強制されて不満だったのを覚えてます
それからスカートを嫌いになりました
スカート=女だから嫌いなのではない
スカートに含まれてる性差の違和感を感じました
覚えている中で初めて感じた違和感です



幼稚園の時に女の子は強制的に赤かピンクでした。私はオレンジや黄色が好きで、ただ赤とピンクが嫌いでした。ただ選択肢には赤色か青色しかない場合が多かった。だからいつも青色ばかり選んでいた。そしたら「男の子っぽい子」になっていた。
小学生になりランドセルが強制的に赤色なのがとても不愉快で嫌でした
オレンジ色や緑色のランドセルがある今の世の中なら、オレンジにしたでしょう
黒がいい!と親に言ったのを覚えてます。
しかし黒色のランドセルは許されませんでした。
二分化されてたのが問題でしたね


小学校高学年になり女の子は恋バナに夢中になりました
毎日異性の話ばかり、つまらなかったです
そこから同性ではなく、異性間において恋愛感情を持たない程よい関係を保てる男女4人でいるようになりました
なんだか毎日好きな食べ物の話や歌を歌っていた気がします

幼い頃から感じていた小さな違和感
それは年々大きくなって行きました



そして、性差に気づいたのは中学生の頃です


男友達から告白されたことで
自分は友達ではなく異性として好かれるのかー
と、気づきました
とても悲しかったのと、戸惑ったのを覚えてます
その当時は、友達の先に恋愛があることを知りませんでした
その時はずっと仲の良い友達でいたかったのです

さらに
その恋愛的期待に応えなければならない
恋をしない人は異常である

と言う固定概念が蔓延っていることも知りました

女の子と話すとき絶対恋バナになります。当時印象の良かった人を恋愛対象として言うことで言い逃れてました

そして、友達が彼氏になったことで、彼氏じゃなくなったら友達に戻れないと言う悲しい結末があることを知りました
何度も自分が男なら、と考えました
人生にムカついたんでオタ活と部活ばっかりしてました
その時は幸せでした



そして高校
決定的な事柄がたくさんありましたね

高校に上がっても異性から好かれる事がありました、不思議でたまらなかったです
中学の頃に比べて、オタ活をしていたことで恋愛にも楽しさがある事を知っていました

付き合わないと人としてダメになるし、漫画では楽しそうだったから私もそうなれるかもしれない!期待に応えなければ!

そう思い無理やり付き合いました
すぐ別れるのが見えてるのに

何故自分が異性に恋愛的感情を向けられるのかわからなかった、このモヤモヤした気持ちを初めて同性の友達に打ち明けました
その友達は恋多き女だったので、自分の恋愛的悩みに応えてくれる、そう思って勇気を出して伝えました
いや、うーん、その子が私の恋愛に興味を持ったので勇気を出して打ち明けた、と言うのが正しいかもしれません

まあ
その時の友達の反応が忘れられませんよ

え、それおかしいよ

そう言われました
やっぱりおかしいのか〜言わなきゃよかった〜でもこれが普通に恋愛している人の考えか〜世の中無理かもしれない!!!
と心の中で叫びましたし、人生なんだかむかつきましたし、落胆しました

それってモテる人の悩みだよね?

そうも言われてビビりました
この悩みは人によっては贅沢な悩みなのか…
私にとっては不思議でたまらなかった事柄、そして異性として期待されることへの気持ち悪さがあっただけだった
なんだか、私の見た目に問題があるのか、いつの間にか私が男性をその気にさせていたのか、と自分を責めるまでになりました


そして、ある女友達には
女の子に告白とかされちゃうから気をつけなよ!


とも言われました

思い返せば、私は女の子からかっこいい対象として扱われる都合のいい人間でもありました


自分の異性に対する恋愛感情が乏しい事
女の子からかっこいいと言われ男性役になる事
同級生を恋愛感情として見てない事を伝えると、「女が好きなの?」と言われる事もしばしば
えー、自分レズビアンなの?!
と自分を疑うようになりました


ですが、不思議と女の子にも恋愛的性的興味はないんですね
ただただ、周りの女性には女の子として何が正しいのかをいつも学ばせていただいてるような気持ちになりました
そこで気づきます
同性にも恋愛感情が湧かないのなら、自分は感情が欠落した人間なのではないか
とも感じ、自分が恐怖の対象になりました

世の中
異性愛者じゃなければ同性愛者だろ!
そんな価値観しかなかった

自分が何ものか突き進めば突き進むほど
自分が異性愛もなければ同性愛もない事を認めるほど
自分はどこにも属さない異端者である
そう認めたようなもの
どう進んでも二極化なのです


異端者かぁー
不思議と納得できましたが
性別と言う誰もがカテゴラリー化される枠の
どこにも属さないことの不安をより強く感じました
そして自分が社会的に女として必要とされている妊娠を、自分が手放す可能性がある怖さを感じました


そこで看護学生になり、気づくのです

自分は女と言う性認識はある
ただ異性愛が乏しい
そして恋愛が楽しくないししんどい
と言う事に


そして大学生になり知りました
アセクシャル
と言うカテゴラリーがある事を


そしてそのカテゴラリーが存在している事に安心を感じたのを覚えてます


自分みたいに悩んだ人が
その悩みを認められるためにカテゴラリーまで作ったのか…

そう思うと、自分の中の性と初めて手を繋げた気がしました
そのままの自分を受け入れながら、10代を楽しもうと思い、大学時代はたくさん恋愛に対して努力出来ました


私は看護師をしていて思いますが、きっと自分が何者なのか知りたかったからこそ
人を知るのを仕事としてる看護学生と看護師を続けられたのかな、と思います



思春期に自分を見失うことは怖かったです
ただその恐怖に対して自分というものが何ものか問い探し続け、カテゴラリーに辿り着いたのが嬉しかったです


医療に携わるようになって

病気が多過ぎる!
そんなに病名を分ける必要があるのか

と思うようになりました


でも私も一時期はカテゴラリーに救われたなぁ
と思うのです


結局、自分はアセクシャルでもなく
恋愛に対しての労力が面倒で苦手なだけなんだな
と認識しました


25歳
この間祖母に結婚してくれ
とせがまれました

何この状態しんどーーー
と思いながら
わかったよーーん結婚するから長生きしてねーん
と対応えました笑笑笑笑

もう考えたくない事柄ばかり
受け流す受け流す……(ヤメテ…笑笑笑笑)


普遍的な概念である性別の男女
この男女が二極化するのが当たり前
この普通
ここに社会が取り組むなんて
国会議員のおじさん達は人に寄り添った回答を提示できるのかしら
人間に男女以外の性が認識されたら、次は犬にもトランスが生まれちゃうのかな
と、社会を達観してしまいます
曖昧だから社会が成り立っている気がするんです

何はともあれ、皆が幸せになれるといいですね


終わり

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