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完読「大菩薩峠」全10巻

中里介山の大長編『大菩薩峠』(筑摩書房刊の四六判愛蔵版で全10巻、1巻あたり平均540ページ)を、3ヵ月かけて読了した。原作は、第一巻「甲源一刀流の巻」から第四一巻「椰子林の巻」まで、1913(大正2)年から1941(昭和16)年まで28年かけて新聞連載と書き下ろしで発表されたものである。まずその息の長さに驚かされる。

執筆時期は次のように分かれるという。鹿野政直によれば、A群(1913年9月12日~15年7月23日、原作第一巻「甲源一刀流の巻」から第五巻「龍神の巻」まで)、B群(1917年10月6日~21年10月17日、第六巻「間の山の巻」から第二〇巻「禹門三級の巻」まで)、C群(1925年1月6日~30年7月、第二一巻「無明の巻」から第二九巻「年魚市の巻」まで)、D群(1931年4月15日~35年6月15日、第三〇巻「畜生谷の巻」から第三七巻「恐山の巻」まで)、E群(1938年2月~41年8月20日、第三八巻「農奴の巻」から最終第四一巻「椰子林の巻」まで)の五つの区分である。

鹿野はそれぞれ、A群は「大逆事件を去ること遠くない時代」に、B群は「米騒動を中心とする時代」に、C群は「政党政治の時代」に、D群は「満州事変からファシズム化の時代」に、E群は「日中戦争の時代」に書かれたとして、時代背景が作品に反映されていると指摘する。

野崎六助は、著書『謎解き「大菩薩峠」』の中で、鹿野のABを「正編」CDEを「続編」とし、さらに続編も三つの群に分けられるという。また成田龍一は、著書『「大菩薩峠」論』の中で、原作第一巻「甲源一刀流の巻」から第二〇巻「禹門三級の巻」までを前半(A)、第二一巻「無明の巻」から第二九巻「年魚市の巻」までを後半の前半(B)、第三〇巻「畜生谷の巻」から第四一巻「椰子林の巻」までを後半の後半(C)として三区分している。

三者に共通しているのは、第二〇巻「禹門三級の巻」までとそれ以降では作品のテーマに変化が見られる、ということである。確かに、第二〇巻までは机竜之助が主人公として描かれている。しかし、それ以後は、竜之助の存在は薄れ、むしろ他の登場人物たちが活発に動き始める。登場人物たちが議論を始め、それまでの剣豪仇討ち小説的な展開とは異なった、思想小説のような趣が強くなる。

原作二〇巻「禹門三級の巻」と二一巻「無明の巻」の執筆の間には、3年半のブランクがあり、野崎六助は「『大菩薩峠』はその二十巻までの正編で充分に終わっているものである。テーマの凝縮、人物の道行き、それらの混合、すべて完結している」と指摘している。そして「では続編は何を書いたのか。続編には読むべき素晴らしい場面はないのか。そう問うなら答えは否である。だが単独に続編があるのではない。続編は正編の注釈であり、評論であり、補足である。また反復として重なってしまう部分もある」と。また、鹿野の指摘では「無明の巻」以降は執筆時期が「満州事変からファシズム化の時代」に相当するから、その社会状況が作者介山になんらかの影響を与えたために執筆の内容に大きな変化が生じた、と言えるのかもしれない。

筑摩書房版全10巻の第1巻(甲源一刀流の巻~白根山の巻)第2巻(女人と小人の巻~慢心和尚の巻)を読んだときはそのおもしさに魅了され、「テンポのある文体、スピードあふれるストーリー展開、壮大な構想力、どれをとっても一級品の時代小説である」という印象をもった。しかし読み進めていくうちに第4巻(無明の巻~他生の巻)第5巻(流転の巻~めいろの巻)では筆が停滞している感を受けた。登場人物の動きがおとなしくなり、本筋とは関係のない説明が多く入ってきて冗長であった。だが、第6巻(鈴慕の巻~畜生谷の巻)の「年魚市の巻」「畜生谷の巻」からは俄然ストーリーが動き出して再びおもしろくなってくる。竜之助が後景に引っ込んで、道庵と米友、お角とお銀、駒井甚三郎と七兵衛など、登場人物一人一人がそれだけでひとつの物語の主人公になる魅力をもっていて、この作品に広がりを与えている。弁信や与八が語る仏教思想や死生観は、そのまま作者の思想を反映させたものであるだろう。

第7巻(勿来の巻~不破の関の巻)では、登場人物がそれぞればらばらの場所で動き回っていて、何を描こうとしたのかがはっきりしない。しかし、その多様性こそがこの長編小説の魅力だと言える。この巻の中で、竜之助とお銀が理想の国とはなにか、人間の自由とはなにかなど(胆吹の巻)、道庵とお雪が子どもが生まれるのはめでたいかどうかなど(新月の巻)の哲学的な議論を交わす場面がある。議論の内容は21世紀の現在でも通用する深いもので、中里介山のすぐれた先見的な思想性が感じられる。

いずれにしても、『大菩薩峠』は近代日本文学史のなかでもきわめてユニークな作品であり、作者が「大乗小説」と言っているように人間のさまざまな業を描いた時代小説である。大正という時代に、このようなスケールの大きな作品を着想した作家がいたとは驚きであった。なお、安岡章太郎の長編エッセイ『果てもない道中記』は、あらすじをたどりながら作家の視点でていねいに『大菩薩峠』を読み解いており、原作を読んでいない人でもその世界に触れることができるのでおすすめだ。





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